週刊金曜日 2001/8/24 号

いつも側にいた『金曜日』 高橋タイガ

 緑がかった淡いグレーの表紙。過ぎた年月のせいで隅は日焼けしている。ブルーのバインダーから久々に『金曜日』を取り出した。一九九三年七月、『月刊金曜日』としてスタートした『金曜日』の創刊第一号だ。
 当時、一九歳になったばかりのボクは、「この雑誌は何かしてくれる」という想いを胸に、決して安くはない年間購読を申し込んだ。「『三権』から独立した市民のジャーナリズム」。「創刊のことば」に込められたこの言葉にホレた。

 それから二年半後、当時の想いは現実になった。
 九六年一月に始まった「ゲイ・カップルから世間を見れば」。この連載を通じて初めて自分と同じゲイに「出会った」のだ。それまで得ていた情報は、マスコミを通じて流されるステレオタイプなゲイ像ばかり。はたして自分と同じように“生活”しているゲイはいるのだろうか、という疑問をずっと持っていた。
 連載が進むにつれて、「自分と同じゲイがいる、がんばっているゲイがいる」という思いは強くなり、それはゲイであることを否定的に捉えていた自分に少しの自信と勇気と希望を与えてくれた。
 「すこたん企画にいつかアプローチしよう」。そう考え、ホームページアドレスをメモして机の引き出しに仕舞い込んだ日のことが昨日のように思い出される。九九年にパソコンを買い、メモが役に立った。すこたん企画のスタッフとなった今、『金曜日』はボクの「原点」だと思っている。

 今、レズビアン・ゲイを取り巻く環境は急速に変化している。インターネットの普及などにより、孤立していた当事者が加速度的につながり出しているのだ。東京と福岡の当事者がメールを通じて知り合い、恋に落ちることも珍しいことではなくなった。
 しかし、まだ多くのレズビアン・ゲイがさまざまな場面で孤立し辛い思いをしているのも事実だ。異性愛前提の社会で生活せざるを得ない状況では、異性愛者の何気ない一言で傷つくことも多い。特に思春期のレズビアン・ゲイにとっては、学校という空間で辛い場面に出くわすことがしばしばある。
 体育の授業中、友だちとふざけ合っているところを教師に見つかり、「お前らホモか! 気持ち悪い!」と怒鳴られたゲイの高校生は人知れず心を痛めている。一緒にふざけ合っていた友だちにまで、「俺、そんなんじゃないよ!」と言われたことで、さらに自分を否定されたと感じたという。辛い気持ちを話せるクラスメイトがいないため、自分一人でその心を癒さなくてはならない。これは過酷な作業だ。

 多くの当事者と話していると、教師に傷つけられたという例は多い。雑談の中で、生徒が「先生、ヘンタイだー!」と言うと教師は「バカ。変態ってゆーのは、男が男を好きになったり、そーゆーのを変態ってゆーんだよ」と冗談まじりに返したという。手紙をくれた中学生は「僕は男で男を好きになったことがあり、その恋で素敵なことをたくさん学んだし、成長もしてきました。なんだか、その教師の発言でその恋の輝きを汚されたように感じました」と語っている。この言葉に教師はどう答えるのだろうか。
 また、大学のコンパで男同士がふざけてキスをする。「うあー。ホモ、ここにおるでぇー。オカマや、オカマ」という周りの声。ゲラゲラ笑う友だちに合わせて自分も笑う。黙っていては「お前、ホモちゃうん?」と聞かれるからだ。自分で自分の存在を笑うことほど辛いことはない。
 幼い頃から外で遊ぶのが嫌いだったという大学生のゲイは、中学生時代、「お前、オカマだもんな」と言われ、からかわれたことを覚えている。それからは何の脈略もなしに「お前、オカマだもんな」と繰り返し言われた。

 言葉は命を奪うことすらある。十数年前の話しだが、宮崎県の書店でゲイマガジンを万引きした少年がいた。少年を捕まえた店員は「お前、オカマか!」と罵ったたうえ、状況を親に連絡した。その後、少年は飛び降り自殺をしてしまうのだ。少年はお金を持っていたという。おそらく、ゲイ雑誌をレジに持って行くことができなかったのだろう。
 ボクにも経験のあることだが、同性愛関係の書籍を買うのはとても勇気がいる。「本を買うところを誰かに見られたら」「店員に笑われたら」そう考えると買えないのだ。セクシュアリティコーナーに行くことすら、立ち読みをすることすら恐怖を感じてしまうのだ。
 ゲイ・バイセクシュアル男性の64%が自殺を考えたことがある、という調査(二〇〇一年七月二六日付『毎日新聞』夕刊・大阪本社版)からもわかるように、人権の最も基本である「生きること」すらままならない状況は未だに変わっていない。

 津波のように押し寄せる否定的な情報をかき分け、肯定的な情報を手に入れるのは至難の業だ。テレビでは「ホモネタ」「オカマネタ」「レズネタ」といったセクシュアルマイノリティを笑い者にする番組が横行している。同性愛に関する不正確な情報、そして「オカマ」「ホモ」「レズ」といった差別語がどれだけ当事者、特に思春期のレズビアン・ゲイを傷つけるか。そろそろ自覚的になる時がきている。
 九六年当時、孤立していたボクの側(そば)にいてくれた『週刊金曜日』。いつまでもそんな存在であってほしいと思うのだ。

(たかはし・たいが)
一九七四年東京生れ。すこたん企画スタッフ。フリーライター。
個人ホームページは http://www.ne.jp/asahi/taiga/14/