週刊金曜日 2001/8/24 号

やっとスタートライン 辛淑玉

 『週刊金曜日』にとってこの問題がなぜ重要なのか? それは編集部自身が「差別した当事者」だからだ。当事者である以上、いくら他に重要な問題(靖国や「つくる「会」の問題など)があっても、この件には当事者として真剣に向き合わなければならない。
 残念なことに、今回編集部が書いた事実経過(私たちの議論の日々)には、編集部と編集委員がすこたん企画の人たちにどのように対応してきたか、その加害の事実がほとんど触れられていない。自分では正しいことをしているつもりでも事実はそうではないかもしれない、と省みる謙虚さも感じられない。
 『週刊金曜日』とすこたん企画は、長い時間をかけて信頼関係を築いてきたはずだった。それなのに、セクシュアルマイノリティに関わる差別表現について研修まで受けた編集部が、その研修で、使わないでほしい、あるいは使うときにはくれぐれも注意してほしいと指摘された「オカマ」という言葉を、あえてそのままタイトルに使った。これは、伝えたい内容があれば差別語を使ってでも表現する、そのためには当事者を傷つけても構わない、と宣言したも同然の行為だ。編集部は彼らの信頼を裏切り、気持ちを踏みにじったのだ。
 すこたん企画の伊藤さん、簗瀬さん、高橋さんの原稿を手にして、これを書くのがどれほどしんどかっただろうと思った。文章の一文字一文字が、彼らの涙の粒に見えた。
 マイノリティは、いつもマジョリティに配慮することを強いられる。そうしなければ理解してもらえず、より大きな代償を支払わされる結果になるからだ。メディアを持つ側と持たない側の力の差がここにある。編集部はマイノリティがメディアというものに抱く恐怖心を理解していない。
 編集部とすこたん企画は決して対等ではない。圧倒的な力の差のある加害者と被害者なのだ。誌面を提供することは、謝罪や反省へのスタートラインでしかない。

 この間、編集部に伊藤さんたちが踏みにじられていく姿を幾度も見せられてきた。私は、彼らを支えきれなかった。
 そんな私に、「辛さんが泣いているんじゃないかと思って……」と心配して電話をかけてきてくれた伊藤さんは涙声だった。彼も泣いていた。編集部がまとめた事実経過でも、「辛さんの書かれ方がひどい」と、自分たちのことより、加害者側である私のことを心配してくれた。
 無理解な社会の中で、マイノリティは、少しでも自分たちを理解してくれる人々と関係を保ち続けなければ生きていけない。
 その伊藤さんたちが、七月二日、いてもたってもいられなくなって編集会議に来たとき、編集部側からは「ここは編集会議だ!」と突き放す言葉が投げつけられた。
 彼らが画用紙に図解して問題点を再度説明しても、腕を組む者、イスの背にもたれかかる者、下をじーっと見つめる者…。彼らに顔を向けていたのは数人だけ。私と本多氏のやりとりで、伊藤さんが私をかばおうと声をあげたが、本多氏ははそちらを見ることもなく無表情のなまま座り続けた。この残酷な会議を、まるで自分たちが責められる糾弾会のように感じた人も編集部側にはいたようだ。
 彼らに優しい言葉をかける者はいなかった。会議終了後、泣いている伊藤さんらに寄り添ったのはたった一人。話しかけたのが二人。あとは黙って仕事に戻った。手を握ることも、悪かったね、ごめんね、また一緒にやろうよ、という言葉もなかった。
 こんなふうに無視することがどれほど人を傷つけるか、わかっているのだろうか。これが、長い間顔の見える距離にいた人たちへの態度なのだろうか。一人一人はいい人なのに、誰も思いやりを行動に移せないのはなぜなのだろう。何か大切なものが欠落しているように思えてならない。
 人は誰でも失敗をする。差別してしまうこともある。私も無批判に差別語を使ったことがある。大切なのは、間違いを犯したら謝るということだ。そして相手に真摯に向き合って、自分が負わせてしまった傷を元に戻すための努力をしなければならない。
 自発的な反省ができず、謝れと言われたから謝るだけ。そういう態度の先に来るのは、何度も謝っているのにしつこい、いつまで謝ればいいのだ、台湾では日本に感謝している人もいる…という、いつも聞かされているあの自己正当化の論理だ。今回の編集部の対応は、私には、侵略・植民地支配の責任を問うアジアからの声に答えられない日本政府の姿を、鏡に映したもののように見えてならない。悲しく、また残念なことだ。

(付)昨年六月、「GAIJIN」という差別語をタイトルにしたマンガが掲載され、金子マーティンさんがこれに抗議したとき、編集部は半年近くこれを放置するというひどい対応をした。しかし、それでも編集長が金子氏にお詫びの私信を出すなど、最低限の礼儀は守っていた。今回のすこたん企画への対応は相手を尊重する姿勢がなく、そのレベルにも達していない。