週刊金曜日 2001/8/24 号 特集「性と人権」を読んだ方からの感想

 

 歌川 泰司さんの感想 2001/09/07(金)

 
 検索サイト「All About Japan」のカテゴリー「同性愛」で、ガイドをしておられる歌川泰司さんが、今回の問題について“「オカマ」ってコトバ、どう? ”というタイトルで、ご自身の経験も交えながら貴重な意見を述べられています。ぜひ「こちら」からご覧ください。

 

 西村 有史さんの感想 2001/09/07(金)

 
 西村有史さんは、福岡県豊前市で「西村クリニック」を開業し、「患者さんの権利を尊重」しながら「エイズ医療と在宅医療にとりくんで」います。その西村さんが「医療、エイズと社会を考える」ご自身のサイト「西村有史自家頁」で、今回の問題を「言語と意識〜差別表現とは何か」として意見をまとめていらっしゃいます。差別的表現に関して示唆に富む内容が書かれていますので、ぜひ「こちら」からご覧ください。

 

 馬場 英行さんの感想 2001/09/07(金)

 

 東郷健氏の記事の題名をめぐって、同性愛者への正確な情報の提供に努めている「すこたん企画」が抗議したことは、至極当然だ。

 題名の「伝説のオカマ」は、東郷氏が自称する分には差し支えなかろう。しかし、編集側が進んでこの表現を用いた事実は、同性愛者の一人として看過できない。「オカマ」という表現がどんな役割を果たしてきたかは、376号(八月二四日)の伊藤悟・簗瀬竜太両氏や高橋タイガ氏の論文を読めば一目瞭然だろう。

 編集側の本多勝一氏は、「またテレビなどでのひどい差別発言を取りあげていますが、本誌に対するよりももっと強く抗議したのですか」と問うていた。メディア抗議に携わってきた一人として答えたい。五年前の扶桑社、ニッポン放送による書籍『野茂とホモの見分け方』への糾弾は、八ヶ月を要する苛烈で緊張感に満ちた一瞬一瞬であった。そのうえでかりそめにも「今」が獲得できたものと自負している。

 「『ゲイ』や『同性愛者』という表現もいやだ、傷つく、という人から異議がでたら、どう対応するのですか」とも問われている。事実につまびらかになるべきだ。そのような異議は出ていないし、言葉の歴史的背景を丁寧に顧みれば、難なく解決にこぎつくのが編集人のいわば本分ではないか。

 『週刊金曜日』は人権派を自負する雑誌ではなかったか。NPO動くゲイとレズビアンの会」発行の『同性愛報道の手引き』は、「『広辞苑』によれば、「かま」は肛門の異名。男性同性愛者を、肛門性交するものととらえるところから生じた名称。人間を、性行為の姿態で呼び捨てることは、極めて侮蔑性が高い。また男性同性愛者に肛門性交を結びつけることも、必ずしも根拠がない」と解説している。編集側がイメージに呑まれて使うことは許されない表現だ。

 この感想は『週刊金曜日』8/31号の投書欄に掲載されたものを、馬場さんから送っていただきました。

 

 Keikoさんの感想 2001/09/02(日)

 
 こんにちは、Keikoといいます。『週刊金曜日』での動きをずっとみまもってきました。
 すこたん企画の方々はほんとうによく忍耐されたと思います(でも、いままでも散々耐えることを強いられてきたのに、金曜日にまで忍耐を迫られるのはやるせないですね)。
 8月24日号読みました。辛さんが「金曜日から」で強い怒りを表明された時、本多氏が非常に低劣な抵抗をしめされていましたね。時間がたち冷却期間をはさめば、なにかしら変化があるかと思いましたが、24日号の「編集委員から」では、本多氏の意見はさらにひどいことになっていました。落合恵子さんや辛さん、その他の編集委員の方々の考えにはうなずける部分がたくさんありました。
 しかし、あまりに本多氏の意見がひどいので、金曜日の方には本多氏に抗議ということでメールを送ったのですがすこたん企画の方々が、このような、きちんとした思考過程も自己洞察も経ない飲み屋の与太話のような意見を読んだときの悔しさやこころの痛みを思うと、ほんとうにやりきれなくなります。
 本多氏はあの意見で最初と最後に「当事者性」を錦の御旗のようにもってきていますが、まず自分のことを語るのに、当時の日記のままとはいえ、一般の人がすぐにはピンとこないような言葉で(すくなくても”オカマ”ということばよりは)表現しているというのは、卑劣だとおもいました。
 また最後に伏見さんの言葉をもってきて、本多氏自身の考えであろう「他者との関わりの入り口をナイーブに設定しすぎている」=この抗議はすこたん企画に人々が「敏感」に反応しすぎているせいだということを、自分以外の「当事者」の言葉の引用にかくれてにおわしている、これには激しい怒りを感じました。
 ほかにも1行1行に言いたいことはあるのですが、ほんとうに怒髪天をついてしまいました。
 私自身は性的指向に関してマイノリティーである自覚をもっていないということで当事者性がないのかもしれないのですが、「もっとも傷つく人を基準にしよう、最も傷つくひとのことを考えられる想像力を人権感覚とよぶのだ」という伊藤さんのメッセージにとても共感しました。
 自分が傷ついていることを否定される、責められるということは、本当につらいことです。これは自分のこととして非常によくわかります。
 これからもずっとすこたん企画を応援しています。それでは、また。

 

 Y.M.さん 2001/09/02(日)

 

 埼玉県在住、両性愛者で、「週刊金曜日」の定期購読者です。8月24日発行の上記特集を読んで、思ったことは。第1に事実経過の中で編集担当者が『タイトルの是非について質問するかどうか悩む。-中略-・・・相談すれば原稿を全部読んでもらわなくてはならず、中略・・・編集者の信義に反する、・・・』(注)との事ですが、これは言い訳にもなりません。相談されれば反対されるのを予想していたからこそ、相談しなかったと考えざるを得ません。
 第2に、問題の記事の発売後に行われた編集部内の議論にしても、『編集部見解案』に対して『文章による表現を放棄することになる』などと書かれていますが、これは同じ雑誌に掲載されている浅野健一氏の「人権とメディア」で繰り返し述べられている『報道被害』に対する理解が全くないというべき状況です。
 第3に、本多勝一氏の意見の中で『テレビなどでのひどい差別発言』に対して『本誌に対するよりももっと強く抗議したのですか』とあります。これこそすこたん企画やその他の人々の努力や苦労を無視した、あるいは理解できない人の発言でしょう。かつて、『テンカン』という表現で患者団体から抗議を受けた筒井康隆という作家が「こんなモノを受け入れていたら作家など出来ない。断筆する」といっていましたが、あの時感じた『作家の傲慢』と同じものを感じています。{中身の問題}ならばタイトルにこだわった著者と本多氏の意図はどこにあるのでしょうか?
 週刊金曜日編集部の皆さんに「いっぺんすこたん企画のホームページを見てごらんなさい!」と言ってやりたい気分です。
 それにしても、マスコミ・ジャーナリズムの人達も、もうちょっと「性」について勉強してもらいたいものです。人間には様々な性の形態があり、男性対女性という形だけが「正しい」のではなく、それ以外の指向性も含めた自由な『性』を尊重しあう社会を創るためにも、彼らの努力を求め、私たちも務めなければいけないのでしょう。残念ながら、私自身はカミングアウトできる環境にありませんので、皆さんの活動を小さな声で応援することしか出来ませんが、今後も頑張ってください。

(注)Y.M.さんが指摘されている、金曜日編集部が書いた「私たちの議論の日々」による経緯は、以下の通りです。
●五月三〇日(水)マンガ「rack focus」に抗議をしてきたすこたん企画を招いてセクシュアリティ差別についての勉強会。「オカマ」という言葉がメディアでどのように差別的に使われているか、などについて詳しく説明を受ける。編集担当者は「善意でも人を傷つけることがある」というすこたん企画の話を聞きながら、「伝説のオカマ」というタイトルの是非について質問するかどうか悩む。しかし、相談すれば原稿を全部読んでもらわねばならず、掲載前の原稿を第三者に見せてはならないという編集者の信義に反する、自分たちで判断すると思いとどまる。