月刊生徒指導
2001 11 増刊号

共に生きる21世紀の
セクシュアリティを探る

性教協20周年記念全国夏期セミナーより

月刊生徒指導
 
 

〈トーク&トーク〉
私が歩んだ“差別・暴力”と向き合う道

森夏奈絵・福井和恵・伊藤悟 司会/高柳美知子

 
 

前略

高柳 最後は伊藤悟さんです。
 伊藤悟さんは性教協ではおなじみの方ですよね。この「トーク&トーク」も、今回で二回目です。それ以外にも性教協のいろいろな会合で問題提起をなさってくださっています。伊藤さんが最初に「トーク&トーク」に出られてから何年たちますか。

伊藤 五年たちます。

高柳 では、その五年間に伊藤さんの体を潜り抜けたお話しをお聞かせ下さい。

伊藤 今、私は「すこたん企画」という団体を主宰し、同性愛を中心にしたセクシュアル・マイノリティの情報を発信する活動を地道に続けています。
 私は自分の中の大事な部分、つまりセクシュアリティの部分を、長い間否定されて生きてきました。そして、そのために自分のセクシュアリティを隠さざるを得ませんでした。でもそれがイヤで、だいたい一〇年ぐらい前に、まわりの人たちにカミングアウトしはじめました。本を出したり雑誌に実名で書いてカミングアウトをするようになったのが八年ほど前です。そして、すこたん企画を作ったのが七年前で、初めて性教協のトーク&トークに出たのが五年前と、そういうふうになっています。
 まず、カミングアウトしてからも感じるのは、別に私が同性が好きだということをいちいち語らなくても、「いろいろな人がいるね」と言って、それで終わる社会が来ればいいということです。でも、まだそういう社会はきていません。そのため、講演やインターネットなど、いろいろな場で「自分がゲイである」ことを語りながら、セクシュアルマイノリティの情報を語り伝えていく必要かあると感じています。
 語り続ける中で、たくさん傷ついて、たくさんしんどいことがありました。自分がゲイであるというだけで、殺されることもあり得ると思うほどです。大げさに聞こえるかもしれませんが、現に、昨年の二月、東京の夢の島というところにある公園で、ゲイであるとみなされた青年が、十代と二十代の少年たちによって強盗され、殺されるという事件が起きています。自分がゲイであると知られたくないので、簡単にお金を出す。あるいは警察に訴えないということで、少年たちがゲイを狙ったわけです。これから、日本でもカミングアウトをする人がたくさん出てくる中で、こういう暴力事件、殺人事件が次々と起きてくるのではないかと心配しています。
 私は講演をする機会がかなりあるんですが、講演の質問の時間というのは、率直に言って恐いんですね。いろいろな質問が出てきます。偏見も登場します。小学生や中学生、高校生、大学生ぐらいだと、比較的柔軟に、話していくうちにお互いが変わっていくということがあります。ところが、ある年齢以上になると、自分の価値観を譲らない人が出てくる傾向があります。
 それから、同性が好きだということを感性として受け入れられない人にもたくさん出会います。
 「何でわざわざ同性が好きだって、あなたは言うんだ」と責める人もいます。わざわざ言わなければ世の中の偏見や差別が変わらないから、一生懸命言っているんですが、「プライバシーなんだから言わなければいいじゃないか」と言うのです。それは理想なんです。だけど、そういう社会になってないから、そういう社会にするために、プライバシーを明かして話しているんだ、ということが通じないのです。
 「食わず嫌いなんじゃないか」と迫られることもあります。異性とセックスをしたことがないから同性に走るんだろうという、全然セクシュアリティに関する知識がない言い方です。
 それから結構傷つくのは、「なるほどわかりました」と了解してくれたあと、「でも、私の子どもは同性愛に生まれてきてほしくない」などと言われることです。話していくと、「同性愛者がそんなに大変なら、自分の子どもは同性愛であってほしくない」と理由もおっしゃいます。でも、これはちょっと違うんじゃないでしょうか。同性愛で生まれてくる子どもがいて、しんどかったら応援してほしいですよね。それを「生まれてきてほしくない」と言われたら、同性愛者としてはとても悲しくなります。子どもの権利も無視されていることになりますし。
 お説教する方にもよく出会います。私は、社会に対する怒りや、自分の傷ついた経験を語るときなど、きつい表情で話すこともあります。そうしますと、「伊藤さん、同性愛のことについて人にきちんとわかってもらいたいと思うのなら、笑みを絶やさず、優しく優しくお話しなさった方がいいですよ」とお説教されるんです。すこたん企画の第一回の講演の時に言われて、それから年に一回ほど、恒例のようにあります。去年二回あったせいか、今年は今のところありませんが。
 そんなふうに感情表現を否定されるのは、とてもしんどいものです。一番しんどかった例を一つ話します。傷が癒えるのに一年かかりました。まだ思い出すとつらいです。
 それは、ある講演の時に、自分の経験とその日に起こったことを話していて泣いちゃったんです。その場にいる人には、どうして伊藤悟が泣いたか理解してもらえたと思っていました。でも、講演が終わって何週間かしたあと、主宰者の関係者の方から、「伊藤悟が泣いたのはうそ泣きだ」という噂が流れていることを聞き、私はすごいショックを受けました。関係者の方の話を総合すると、「伊藤がした程度の経験で、人間は泣くはずがない。なのに泣いた。きっとうそ泣きに違いない。同性愛者が大変だということを強調するために、伊藤はわざと泣いたんだろう」ということです。これは本当に悲しかったです。自分の感情が涙という形で表現された。その表現が受け入れられない。それはとてもきついことです。
 人によって、同じことを言われてもサラリとかわせる人と、深く傷つく人がいるんですね。私たちはやっぱり「一番深く傷つく人に自分の想像力を合わせて生きていくべきなんじゃないかな」と思います。亡くなった山本直英さんも、それが人権感覚だという意味のことをおっしゃっています。
 さて、残りの時間で、五年前に「トーク&トーク」に出させていただいてから今までの間で、変わっていないことと変わったことについてお話ししたいと思います。
 変わっていないのは、メディアの同性愛に対する扱いです。私たちは、いっぱい抗議しているんですが、状況はあまり変わっていません。
 この話はキリがないので一つだけ具体例を紹介します。フジテレビ系の「あっぱれ さまん大先生」という番組のなかで、海千山仙人というのが出てきて、子どもたちの悩みを聞くコーナーがあります。男の子が好きかもしれないという小学六年生の男の子が、仙人のところに相談に行ったのですが、そのときのやりとりがひどいんです。まずその男の子が「どうして男は男らしくしなければいけないのですか」と聞くと、仙人は「そりゃ男は男だもの」としか答えないのです。続けて、その男の子が「男が男を好きになるのはいけないことですか」と聞くと、仙人はあきれて「男が男を好きになったらダメだよ。それはオカマだもの」と答えたんです。
 この「オカマ」という言葉は、以前よりも広く使われているような気がします。格闘技系のマンガでは、弱い男の子にはみんな一貫して「オカマ」という言葉が投げつけられます。すこたん企画にも、中学生や高校生から手紙やメールで、「オカマといわれて、いじめられる」という話がたくさん来ます。
 「オカマ」という言葉は、すごく広い言葉で、男性という範疇からはずれる人たちを軽蔑する文脈で使われます。ですから、インターセックスの人にも、トラスンジェンダーの人にも、異性愛でも、いわゆる男らしさから少しそれている人は、みんな「オカマ」と呼ばれます。「オカマ」という言葉は、いろいろな性があるという認識を混乱させますし、そういう人たちをまとめてバカにする言葉として強く機能していると思います。
 こういうふうに話してくると、変わっていないとろこばかりになりますが、うれしいことも五年間にはありました。
 例えば、すこたん企画はパートナーの簗瀬竜太と二人で始めたんですが、七年たって、スタッフになりたい、ボランティアとして手伝いたいという二十代のゲイあるいはレズビアンの人が現れてきました。現在、六人のメンバーが中心となってやっています。二人から六人になるのに七年かかりましたけれども、おかげでいろいろな活動ができるようになりました。特にインターネットが発展してきたおかげで、私たちのサイトから同性愛に関する正確な情報を得て、「自分はおかしな存在じゃないんだ」「自分を自分として受け入れていいんだ」と感じてもらえるようになりました。メディアを変えるのはなかなか難しいけれども、情報を求めてやってくる人にやっと情報を届けられるようになったなと感じています。
 そして、大きな展開もあります。この八月一日からドイツで同性愛同士の婚姻が認められるという報道がありました。少し前にオランダでも認められています。それに近い法律は、北ヨーロッパ、フランス、ベルギー、アメリカのバーモント州などにもあります。トラスンジェンダーやトランスセクシュアルの人たちの権利も認められるようになってきています。同性カップルが子どもを育てるということも進んできています。日本でも、同性カップルが子育てをするのが当たり前の時代が近づいてきている来もします。
 そして、いろいろなゲイやレズビアンの団体、トラスンジェンダーの団体、インターセックスの団体など、いろいろな人たちが働きかけ、努力した結果、今年の五月二五日、法務省の人権擁護推進審議会の答申で、同性愛者を始めとするセクシュアル・マイノリティに対する差別が救済の対象になることになりました。ただし法律になるまでに消されてしまう可能性もあり、東京都の人権条例で消されそうになった経緯がありますので、予断は許しませんが、そういう動きがあります。
 このような状況の中で、私は傷つき、しんどいと感じながら、希望も感じています。そして、性教協にはずいぶんパワーをいただいたなと思っています。性教協の方針を私なりに読み替えると、少数派の、例えば同性愛やトラスンジェンダー、インターセックスの子どもたちを大切にできなくて、どうして多数派の子どもたちを大切にできるか、という方針だと思っています。ですから、子どもたちとのかかわりのなかで、ほんの一言でいいんです。「同性が好きだという人がいるんだよ」ということを言ってもらえるだけで、状況はすごく変わるんです。

高柳 「同性愛者って、どれくらいいるんですか」って聞かれることがありますよね。三パーセント〜五パーセント、いや七パーセント、場合によっては一〇パーセントとも言われています。低く見ても三パーセント〜五パーセントです。ただ、その方たちは、伊藤さんのように「わたしは同性愛者です」と名乗れない状況があります。伊藤さん、カミングアウトしている同性愛者ははかなり少数ですよね。

伊藤 そうですね。少しずつ増えてきていますけれど。

高柳 性教協では、かなり以前から模擬授業や分科会で、同性愛や半陰陽、トランスセクシュアルについて報告をしてきました。そして、いつのころからか、模擬授業や分科会を当事者が受け持ち形に変わってきております。そういう数少ない当事者が、私たちは人権アクティビストと呼んでいますが、性教協の場を信頼して語ってくださいっています。
 伊藤さんも深い傷を受けながらも、また立ち上がって、人権のために挑んでいらっしゃいます。そういう人権アクティビスト、伊藤さんに激励の拍手をお願いしたいと思います。(拍手)

中略

高柳 さて、あと残り三七分ですね。持ち時間一〇分ということで、言い残したこと、そして、ここにおいでの方たちへのメッセージをお願いします。……中略……それでは伊藤さん、よろしくお願いします。

伊藤 最初に、先ほどの話の補足です。
 すこたん企画も協力したんですが、男性の同性愛者及びバイセクシュアルの人に対する調査で、「自殺したいと考えたことがある」という人が六四パーセントにも上るという調査があります。二〜三年前に行われた調査なんですが、三日前、七月二六日の『毎日新聞』大阪番の夕刊で初めて新聞記事になりました。こういう調査が新聞記事になるような時代になりつつあるということなんですが、それぐらい重いものを抱えて生きている人たちがいるという事実を知ってください。
 さて、最後に二つお話ししたいことがあります。
 一つ目は、先ほど高柳さんがパーセンテージを言いましたけれども、セクシュアル・マイノリティが少数派と言っても、同性愛者を全人口の五パーセントと仮定しても五〇〇万人いるということになります。五〇〇万人いれば、いろいろな人間がいます。ときどき、伊藤さんの話と他の同性愛の人から聞く話とは全然違うということを聞きます。これは当たり前なんです。いろいろな思いの人、いろいろな考えの人が、同性愛者の中にもいるわけです。
 レズビアンの十代の女性からのメールですが、図書館で『同性愛がわかる本』(明石書店)を借りようとしたとき、図書館員がなんでこんな本を借りるんだという視線で、彼女を傷つけたんです。だけど、これにはいろいろな意見がありました。「そんな目を気にしてたら、生きていけないじゃないの」とか。でも、そういう目線を送る人がまず問題なんですよね。私は、目線を受けた人が強くならなければいけないというのは違うと思うんです。先ほど申し上げた、「一番傷つく人を基準に考えていきたい」ということを改めて確認したいと思います。
 でも、「一番傷つく人を基準に……」と言うこと、またいろいろ言われるんです。たとえば「そんなことを言ったら、何も言えなくなっちゃう。何もできなくなっちゃう」。それは違うんですね。「知らなかった。傷つけてしまってごめんなさい」と、率直に認めて謝る、あるいは関係を作り直すということができれば、いいと思うんです。
 最後に、性教協とのかかわりをちょっとだけ話して終わりたいと思います。
 性教協の「トーク&トーク」に初めて出させていただいてからの五年間は、性教協に関して、喜びといらだちが両方混ざる五年間でした。
 喜びというのは、私が落ち込んでいるときに、これは本当にうれしかったんですが、一緒に泣いてくれた人がいたということなんです。一緒に泣いてくれるくらい共感してくれる人と出会うのは、なかなか少ないです。すごく励まされました。また、「怒らないと伊藤さんらしくないよ」なんて言ってくれる人もいて、それはそれでうれしいです。そして、一生懸命私たちの話を聞いて、勉強してくれる人もたくさんいました。それは本当に喜びで、性教協と関わってよかったなとつくづく思います。
 でも、一方ではいらだちもあります。模擬授業や分科会で、同性愛の授業や分科会を引き受けて下さる方が少ないのが、いつもさびしいです。そして最近、学校の研修会に呼ばれる回数が減ってきているのもさびしいことです。マイノリティの立場については、一回では話しきれませんし、最新の状況はどんどん変わっています。多様なセクシュアリティという視点を性教育に入れると、性教育がどれだけ面白くなるかということも、私たちは五年間でたくさん蓄積してきたつもりです。
 そういう意味で、皆さんとの交流を、性教協との関係を、一段と深めていけたらなと考えています。よろしくお願いします。

後略