尋問は、シェイダさんが2000年4月の逮捕以降、5月に東京入国管理局の収容場 (通称「十条」、東京都北区十条駅近く)に送られたときにシェイダさんが経験したことへと移っていきました。
シェイダさん在留権裁判で法務省側は、収容場で「退去強制手続」の一環として行われた入国警備官による尋問(2000年5月9日)、入国審査官による尋問(5月25日)、特別審理官による尋問(6月9日)の調書を証拠として提出しています。そこには、シェイダさんの家族が、シェイダさんが同性愛者であることを知っているとか、シェイダさんはイランからの出国後ドバイ(アラブ首長国連邦)で日本大使館に立ち寄ったとか、事実に反することが書かれています。法務省は外国人の難民事件の裁判などでは、本人が自発的に行った証言と、退去強制手続のための尋問で行われた証言とのささいなずれをついて責め立て、「こいつはうそつきだ」という印象を裁判官に与えるという戦術をとることが多いのです。
シェイダさんは証言の中で、これらの尋問がどのような形で行われ、こうした「調書」となっていったかについて克明に証言しました。この証言内容は驚くべきものでした。
まず、シェイダさんが「十条」に移された直後の5月9日に行われた入国警備官による尋問について。シェイダさんの証言によると、この尋問は専用の部屋ではなく大広間で行われましたが、その部屋の中では他にも尋問が行われており、尋問待ちのイラン人や他の外国人が十名以上いたということです。シェイダさん自身、他の尋問の内容を聞くことができました。シェイダさんの近くには他のイラン人がいてシェイダさんの尋問を聞いており、このイラン人はあとでシェイダさんの尋問理由を他の人に言いふらしていたというのです。
また、尋問の担当官は尋問に当たって「これは難民申請とは関係ない。入管に入るための手続きの一環だ」といい、弁護士がいなければ尋問には応じないといったシェイダさんに対して大声で威圧したとのことです。尋問には通訳も付きませんでした。他の外国人の存在に気を取られ、シェイダさんは担当官の調書読み聞かせに集中することができず、調書の内容がまちがっていてもチェックすることができなかったと証言しました。
次に、5月25日に行われた入国審査官による尋問についてですが、シェイダさんはこの日の数日前から全身のかゆみや腫れに襲われ、耳・鼻にも炎症ができて医師にかからざるを得ないほどひどい体調でした。尋問はこれを無視して、昼前から夜8時までの長時間、通訳なしで行われたそうです。これについても「難民申請とは関係ない」という説明があり、さらに時間が遅くなったために担当官は読み聞かせをせずに調書を作成したとのことです。
以前から、入国管理局による尋問は通訳などの点で問題があると指摘されていましたが、シェイダさんの証言によって、通常では考えられないずさんな尋問のやり方が法廷で明るみに出たと言えます。
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