敗訴判決に当たって、チームSは本人・弁護士と共に司法記者クラブにて記者会見を開き、法務担当の稲場雅紀名義で以下の臨時声明を発表しました。
チームS・シェイダさん救援グループ法務担当 稲場 雅紀
(本声明はチームS全体の見解を代表するものではありません)
本日(2005年1月20日)、イラン人同性愛者難民シェイダさんの在留権裁判控訴審において、東京高等裁判所は、シェイダさんの在留権を認めず、シェイダさんの退去強制処分を妥当とする判決を言い渡した。
これは、日本国家によるシェイダさんへの3度目の拒絶の意思表示である。
シェイダさんはまず、2000年7月に、難民不認定処分と退去強制令書発付処分を受けた。これが一度目の拒絶である。その後、国連難民高等弁務官事務所は、シェイダさんを難民条約上の難民とする判断を下している。にもかかわらず、2004年2月、東京地方裁判所はシェイダさんに敗訴判決を下した。これが二度目の拒絶である。そして本日、東京高等裁判所は、シェイダさんの控訴を棄却した。これが三度目の拒絶である。
シェイダさんも、支援するわれわれも、もはやこう言うしかない。ここまで拒絶されたら、もう嗤うより他に手がないと。
日本国家に、シェイダさんを拒絶する理由はない。日本は難民条約に加盟し、これを批准している。日本国家には、難民条約に規定する5つの理由(人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員であること、政治的意見)により十分に理由のある迫害の恐れを有するが故に、本国以外の土地におり、本国の庇護を受けることができず、もしくは庇護を受けることを望まない者を難民として受け入れる義務がある。イランでは、同性愛者に対する死刑を含む迫害が続いている。それを理由として、欧米諸国、ニュージーランド、オーストラリアでは、イラン人ゲイを難民認定する決定や判決が継続して出されている。難民条約は国連の条約であり、この条約に基づいて設置されている国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、彼を難民条約上の難民として認定しているのである。
日本国家の、シェイダさんに対する拒絶には、何の道理もない。ちなみに日本政府は、難民や外国人移住労働者に対して、道理なき拒絶と排除をますます苛烈に行っている。ビルマ人の難民申請者は、収容所からの仮放免にあたって「就労禁止」の条件を付けられ、それに違反した廉で再収容された。ベトナム人とペルー人の「超過滞在者」は、全身を拘束具で縛られ、実力で飛行機の中に押し込まれた。そして18日、クルド人の難民(UNHCRが難民条約上の難民として認定している以上、れっきとした難民である)2名が、収容後わずか1日にして、彼らの「国籍国」であるトルコ共和国へ暴力によって強制送還されるに至ったのである。これが国際法上最大の原則の一つである「ノン・ルフールマン原則」(迫害される可能性のある国に強制送還しないという原則)に違反していることは、誰が見ても明らかである。さらに法務省は、日本国に難民申請を行うわずか500人に満たない外国人の6割が「在留資格が切れた後に難民申請」している、この連中は難民制度を悪用しようとする意図を持っている、などとして、マスコミを使ったキャンペーンを仕掛けようとしている。これ以上稚拙なキャンペーンはない。それならば、法務省が難民認定した難民のほとんどが、「在留資格が切れた後」に難民申請した人たちであるのはなぜなのか。難民を、外国人を拒絶し排除しようというわが法務省官僚の欲望には際限がない。
問題は単に人道や人権にのみ存在するのではない。われわれが例えば「日本人」という視点に位置どる時、そこから見えてくる最大の問題は、彼ら=法務省=の難民、外国人を拒絶しようとするこの欲望が、道理を持たないどころか、日本国の国益という観念に照らしても不条理なものにすぎないということにある。日本は2年後の2007年から、人口減少時代に突入する。地球人口が百億近くにまで増大し、中国とインドが欧州並みの経済力を持って君臨することが予測されている時代に、日本の人口は2050年には1億人を切り、2100年には6000万人へと半減すると予測される。この予測を前にしてなお、日本はこれに対して正面から取り組む前向きの改革ビジョンを立案形成して前に足を踏み出すことに躊躇し、「外国人犯罪の増大」、「テロリストの潜入」といった、実のところ自己の内なる恐怖に由来する幻影との闘いに、自らを耽溺させているのである。幻影への恐怖にとらわれた内向きの昏い力を、迫害から逃れ、翼をむしり取られた難民たちに向けて行使する……難民への拒絶と排除とは、国家が直面する真の課題に正面から取り組む力を喪失し、「幻影との闘い」に沈潜する悲しむべき日本国家の姿、国の力の弱りを象徴するものに他ならない。
いささか大げさかも知れないが、誤解を恐れず、われわれはここにあえて言おう、れっきとした難民であるシェイダさんを拒絶し、日本から排除しようとするこの判決は、人口減少時代におけるわが日本の亡国への歩みを一歩進めるものであると。われわれに、それを押しとどめる力がない以上、われわれはその歩みを「他者の歩み」として見立て、それを嗤うしかない。結局、ふたたびの光へと向かう道は、いったんの亡国への歩みの果てにしか見えてこないのだ。
以上 |