(2005年4月2日:文責 大塚重蔵)
1.3月30日午前11時。16年間の歳月と数多くの友人を残して、シェイダさんはこの
土地:ユーラシア大陸の東端に位置する弧状列島から、まだ見ぬ新しい土地へと旅立 った。彼の手には、かの新しい土地を統治する政府が発行したパスポートが握られて
いた。此岸におけるシェイダさんの闘いは、ここに終わった。
2.彼が16年間過ごしたこの土地、日本の政府は、彼がこの国に住み続けることを頑
なに拒否し、迫害が待ち受ける祖国に強制送還する決定を行い、1年と7ヶ月に渡っ て彼を収容し、その後も4年の長きに渡って、収容と強制送還の恐怖に彼を縛り付け
た。裁判所は、二度にわたり、政府のその措置を是とする判決を下した。しかし、彼
は2000年4月22日の逮捕以来、6年もの長きに渡って持ちこたえた。そしていま、彼 は安定した在留資格とともに、ここではない、新たな安住の地を得ることができた。
彼とともに、私たちは宣言する、私たちのこの闘いは勝利だった。
3.私たちはしかし、その勝利を、十分な喜びとともに祝うことはできない。むし
ろ、私たちは悲しみをすら感じている。それは、彼がすでにもうこの土地にはいない こと、私たちが彼と同じ土地において生き続けていくことができないことに由来す
る。この勝利は、私たちと彼との間に国境という分断線を引くことを前提にかちとら
れた。今、この土地に彼はおらず、私たちは、彼を拒絶する政府を持つこの土地で生 き続けなければならない。この勝利は、喜びではなく、喪失感とともにある勝利であ
る。
4.この喪失感が意味することはすなわち、私たちの=この土地に生き続ける者とし ての私たちの闘いは、終わっていないということである。私たちと彼との間に引かれ
ているのは、彼を難民として受け入れる政府を持つ土地と、彼を拒絶する政府を持つ 土地との分断線である。この分断線を消していくこと、「十分に理由のある迫害の恐
怖」に直面した者たちを難民として受け入れる、当たり前の政府を、自らの土地に持 つことが、私たちの課題として残された。
5.最後に。6年間にわたるこの闘いは、過酷な闘いだった。しかし、この過酷な闘
いを、彼と私たちは、じつに豊穣な闘いとして闘い抜くことができた。この土地の政 府が行使する暴力に、驚くほど多くの人々が憤った。不当な法制度とその不当な執行
に直面した彼に、性的指向の違いを越えて、驚くほど多くの人々が連帯し、すすんで
力を貸してくれた。その連帯が、この闘いにまれにみる持続性、自立発展性と豊穣さ とを与えた。私たちはこの豊穣と、それをもたらしてくれたすべての人々に感謝す
る。そして、6年間、この豊穣の起源として存在し続けた彼に感謝する。
6.彼は、私たちは勝った、そして私たちの闘いはまだ続く。
A Lutta Continua...a Vitoria e Certa!(Agostinho
Neto, Angola 1975) |