Q1■同性愛者って昔からいたんですか?

 同性を恋愛・性欲の対象にする人の存在は、古くから世界中で記録されていますが、同性愛/異性愛という分け方が意識されるようになるのは、近代に入ってからです。元々その境界線は極めてあいまいなものでした。禁止する必要ができて初めて人為的に境界線が引かれ、名前が付けられたのです。
 中世までに、教会や為政者の都合で様々な名前を付けられ排除されていた「同性を恋愛・性欲の対象にする人たち」に、新しく興ったドイツの近代医学が“homosexuality”という「病名」を与えました。この単語は、独立して生まれたものではなく、過剰な性欲や当時の価値観からはずれる恋愛・性欲の形を「治療」しようとして生まれました。「治療」対象の「性」のあり方を対象別に“heterosexuality”(異性愛)“homosexuality”(同性愛)と定義したのです。しかし「異性愛」に対する許容度は、「同性愛」と比べ物にならないほど大きかったため、あっという間に「治療」対象は、「同性を恋愛・性欲の対象にする人たち」だけになってしまいます。
 欧米では各国で「ソドミー法」が制定されました。「ソドミー」とは、「不自然」または「異常」とされる性行為の様々な形、特に、肛門性交と獣姦を指します。近代以降は、医学が、同性愛を治療の対象とすることで、異常なものという偏見が強化されます。日本でも江戸時代までに為政者が何度も男性同士の性行為の禁止令を出しています。
 その結果、「同性愛」は長い間、「異常性欲の一種」(第3版までの『広辞苑』)などと辞事典に書かれ、それを読んだ若いレズビアン/ゲイが自己否定感を持ってしまう時代が続きました。同性愛者の団体『動くゲイとレズビアンの会(NPO法人アカー)』の粘り強い交渉で、『広辞苑』の文章が「同性の者を性的愛情の対象とすること。また、その関係」に変わったのは、1991年発行の第4版からです。文部科学省も1994年まで、生徒指導の手引書の「性非行」に同性愛を含めていました。
 近代に入って確立された資本主義にとっては、男性を「労働力」として際限なくこき使い、女性を家事と子育てに専念させて男性を支えさせる、という分業が最も能率的でした。国を挙げてその体制が推奨されて行く中で、「異性愛」は社会をより強固に支配する価値観になっていき、同性愛者たちは、名前を得ると同時に排除される対象として明確に意識されていきます。
 こうした流れの極限はナチス・ドイツでした。ドイツ民族の繁栄に「役に立たない」男性同性愛者を収容所に送り込み、強制労働をさせ虐殺したのです。その時収容所で男性同性愛者たちに付けられたピンクトライアングル(ピンクの三角形)は、後に同性愛者解放運動のシンボルとなります。 “homosexual”(同性愛者)という呼称は、アメリカの公民権運動~フェミニズムと続く流れが同性愛者たちの解放運動を呼び起こす中で、まず「ゲイ」(その意味「陽気な」「前向きな」を強調して、当時者が自分たちの呼称として選びます)に変化し、続いて「ゲイ女性」のおかれている立場は「女性」としての差別も含むという差異性から、「レズビアン/ゲイ」となって今日に至ります。
 医学に対する働きかけも、70年代以降、欧米のL&G団体によって取り組まれ、1973年のアメリカ精神医学会をかわきりに(日本は正式には1995年)、同性愛は治療の対象から外されていきます。その過程で、自分の欲望や感情がどこへ向くかを示す価値中立的な「性的指向(Sexual Orientation)」という用語も定着しました。そして「性的指向」が多様であるという「事実」も示されます。1993年には、WHO(世界保健機関)による「国際疾病分類」(ICD)の第10版でも明記されました。
 さらに「性自認(Gender Identity)」という言葉も性のあり方を表すキーワードになっていきます。出生時に医師などにより判定されて「割り当てられた」「性別」と別に、自分が望ましいととらえている「性別」を示します。「トランスジェンダー」の人たちは、割り当てれた性別に違和感を持ち、自分の性自認に沿うよう性別を「越境」して生きようとしています。
 欧米でまず、レズビアン/ゲイが生身の人間として「存在」している、それは事実であり「いいか悪いか」の問題ではないというアピールが始まり、続いてトランスジェンダーの人たちもその存在を訴え始めます。このふたつの活動を結ぶ言葉として「LGBT」が生まれました(「B」はバイセクシュアル)。「LGB」が性的指向、「T」が性自認に関わります。さらにこの枠組みの中には自分が納得いく立ち位置がないと感じる人もいることから、「LGBTs」などと表現される場合もあります。「定義」には限界があり、境界線も曖昧ですが、まず自分を表現する言葉を見つけて自分を認識する必要があります。「登録された性別に違和感を感じず、異性に欲望や感情が向くのが当然」とされる現代の社会では、自分の言葉で自分を語り訴えていかなければならないのです。