ご質問の同性愛についてですが、ひとりの人間の中に同性指向と異性指向が一定の割合で存在していることがわかっています(これを「性的指向のグラデーション」といいます)。
この割合は、自分の意志や選択で簡単に変えることはできず、また、病気でもありません。国際精神医学会などでは30年前に治療の対象から外され、人間の個性の一部として認識されるようになっています。
どうして人間の性がグラデーションであるのかは、かなり生得的であるということまではわかってきましたが、科学的には全く解明されていない状態です(つまり、異性に魅かれるというのも自明ではないということです)。
同性指向が強い私自身も、自分でどうしようもない心の動きに対して、「食わず嫌いではないか」「気持ち悪いから治せ」などと言われて傷ついた経験がたくさんあります(異性が好きな人に向かってはこうしたことは全く言われないという力関係の差を考えてください)。
ですから、右利きと左利きの人がいるように、同性を好きになる人と異性を好きになる人が存在していることが紛れもない事実であることを、まず第1に、受け入れてほしいと思います。
同性指向の強い人は最低でも人口の3%はいると推定されており、A・Hさんの学校にも何人かは必ずいるはずです。とすれば、テレビが興味本位にバラエティーやワイドショーで垂れ流す「ノリ」で、生徒たちに向かって話すということは、そうした子どもたちは、「ああやっぱり先生にも笑われるんだな」と考えて、自分を否定的にとらえざるを得ない心境に追い込まれていくことになってしまうでしょう。
******************
教員は、自分の不用意なひとことで傷つく子どもがいるかもしれないということを絶えず意識していなければならないと思います。
子どもたちは、幼稚園の頃から「ホモ」「レズ」「オカマ」といった言葉を、友だちをからかいあざける言葉としてしっかり用いています。ある小学校では、水飲み場に「女」「男」「ホモ」と落書きされ、「ホモ」と書かれたところで知らずに飲んだ子がはやし立てられ、いじめられるという事態も起きています。
また、同性愛者=「オカマ」と受け止めていらっしゃるようですが、正確には、「オカマ」は「男らしく」ない男性に対して投げつけられる蔑称であり、かなり広範囲に使われています。
ですから、自分の生物学的な性(からだの性)と、自分で自分の性をどう思うか(性自認/こころの性)が一致せず、異なる性として生きることを望む「トランスジェンダー」の人たちを軽蔑することばでもあります。つまり、「オカマ」という言葉は、同性愛者とトランスジェンダーの人を混同したうえで、どちらも見下して笑いをとる言葉ということになります。
「ホモ・レズ」も軽蔑的色彩が強く、同性愛者は自ら選び取った「ゲイ・レズビアン」という言葉を使っています。したがって、言われた人を傷つける可能性が高いこれらのことばを教員が使ってしまうのもどうかと思います。
そして、同性愛者に対する偏見や嫌悪感は、資本主義を支えてきた家族制度・子孫繁栄至上主義(まとめて異性愛強制社会と分析されています)によって、広く「常識」として社会に根づいています。そのため、同性愛者は、同性が好きだと知られて傷つけられ、不利益になることを避けるために24時間異性愛者であるようにふるまわざるを得ません。
私も、友人との雑談の時でさえ、自己表現できず、何気ない質問「(異性の)アイドルで誰が好き?」(後には「結婚しないの?」)にも構えて答えを用意しておくことに無駄なエネルギーを費やしてきました。
昨年の2月には東京で同性愛者と見なされた男性が10代と20代の3人組に強盗され、殺されるという事件も起きています。
特に、まだまだ正確な情報にアクセスできず、自分は「異常」かもしれないと思い悩んで孤立せざるを得ない10代の同性愛者にとって、教員から同性愛に対して否定的な話を聞くのは致命的です。
どうか、同性愛に関する本(『同性愛がわかる本』伊藤悟/明石書店など)を読んで正確な情報を得て、こどもたちが「オカマ」を使ってからかっているときに注意し、「同性が好きな人」もいるんだという話を生徒さんたちにしてあげてください。世界的には、同性同士のパートナーシップが法律的にも認められつつある時代なのですから。
|