まいけるさんは、「性同一性障害」と「同性愛」を混同されているようですね。「性同一性障害」が「進行」すると同性愛になるわけではありません。
先月号の『ジュ・パンス』に、性同一性障害で、女性から本来の男性の体になった虎井まさ衛さんのインタビューが載っていましたが、「性同一性障害」というのは、心の性と身体の性が一致しない状態のことで、その判断基準に、誰を恋愛の対象とするか(同性を好きになるか、異性を好きになるか)というのは、全く入っていません。
簡単に言えば、自分の性別に対する不快感と、反対の性別に対する同一感を持続的に持っていれば、その人の恋愛のあり方に関係なく、「性同一性障害」と診断されます。ですから実際に、性別適合手術を受けて性別を変えた(本来の性に戻った)人には、同性が好きな人も異性が好きな人も両方います。
したがって、同性を好きになるか・異性を好きになるかというのは、全く違う次元のことになります。
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恋愛対象が同性に向くか異性に向くか両方に向くかを、性科学の言葉で「性的指向」と言いますが、人間の内面には、同性指向と異性指向が一定の割合で存在しており、それを自分の意思で変えることはほとんど不可能です。これは、どの時代でも、どの場所でも、あてはまる科学的事実です。
私は、同性指向がほぼ百%ですが、先月号で性同一性障害の虎井まさ衛さんが、「何としても自分がこうだと思う性に直したい」とおっしゃっていたのと同じ次元で、自分の中でどうにもならない、それがなくなったら自分ではなくなってしまうものとして、同性に魅かれる私自身「伊藤悟」がいるのです。
まいけるさんは、「同性にのみ身体の接触を求め」「行為を果たす」ことをどうとらえておられるのでしょうか? 文面から察すると、否定的なのでしょうか? あるいは、精神的なつながりのみを求めるのならば許容されるのでしょうか?
同性愛も異性愛も、恋愛としてみれば、ただ対象の性別が異なるだけで、心とからだの変化の過程は全く変わりません。好きになれば心ときめき、相手をいとおしく思い、抱きしめたりキスをしたくなり、性交ももちろんしたくなり、共同で人生をつくっていきたくなります。
一方、同性指向が強い者と異性指向が強い者との間では、当然恋愛関係は成り立ちません。「片思い」で終わることになります。このことと同性指向の強い者の方が少数派であることを考え合わせると、相思相愛になれる相手を探すことが同性愛者にとってどれだけ困難かということがわかっていただけると思います。
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さらに、ご存知のように、同性愛に対してはさまざまな偏見や差別が存在しています。幼稚園や保育園の子どもたちでさえ、テレビから学習して、「ホモ」「レズ」「オカマ」といった言葉(どれも同性愛者の多くが不愉快だと思う言葉です)を、相手を軽蔑し、からかうために使っています。それを周囲もまず注意しないでしょう。それほど理解が進んでいないのです。
同性愛だと言うと、気色悪いという反応をされたり、避けられたり、いじめられたり、学校や職場にいられなくなったりします。
そんな中で自分が同性が好きだということを言えずに、異性が好きなフリをせざるを得ない私たちの気持ちを想像してみて下さい。自己表現を奪われるということは、「自分らしく」生きられないことを意味するわけですから。とりわけ、歪んだ情報だけにさらされ、自分の力で「世間の常識」(異性愛が当然・正当と考えている)に抗していくのが困難な10代にとっては、自分を肯定できずに、深い悩みを抱えている場合が少なくありません。
どうか、私と虎井さんの共編著で先月高文研から出版された『多様な「性」がわかる本』などを読んで多様な性について学習して下さい。
そして、学校で少しでも正確な情報を伝えて下さい。同性愛者は30人に一人の割合でいると言われています。あなたのクラスにも、同性愛あるいは性同一性障害の生徒さんがいるかもしれないのですから。(私たち同性愛に関する正確な情報を発信している団体「すこたん企画」のサイトhttps://sukotan.jpも参考にして下さい)
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