THE BIG ISSUE JAPAN
2005.1.15 20号

2005年の特集
願いと夢

今年は「社会責任」を流行語に
伊藤悟


■今年は「社会責任」を流行語に 
◎伊藤悟

 2004年の「流行語ベストテン」に「自己責任」が選ばれたと聞いて、「誤用」されている言葉を選ぶ感性にあきれ、選ばれるほど「流行」したという現実にがく然とした。「自己責任」とは本来、自分から人生を積極的に引き受け、自分らしい生き方を見つけていく時に伴う「オトシマエ」のことだったはずなのに、ほぼ「自業自得」と同義に使われているからだ。例えば、テロで殺されても「殺される可能性の高い所へ行ったから悪い、仕方がない」に象徴されるように、問題の本質や背景を無視して個人の行為だけを取り上げ、全ての責任を個人に押し付けるために「自己責任」が「悪用」され、その発想は拡がりつつある。

 全て「自己責任」だと言ってしまえば、とても「ラク」だからこの論理が多用されるのだ。どんな事象でもその形成過程は複雑で、正確に分析し認識・判断するにはけっこうなエネルギーがいるのに、そういう面倒な「思考」を放棄することができる。自分にかかわりのあることでも「他人事」ですますことができる……。

 同性愛者へのソーシャルサービス団体「すこたん企画」を主宰している私としては、この傾向を見過ごすわけにはいかない。私は、同企画の電話相談やカウンセリングを通じ、また私的にも、若い世代からさまざまな悩みを聞くが、解決方法の選択肢が「自己責任」でやることばかりで、より大きな「権力」を持った組織や機関や社会そのものの「責任」を問うという回路がないことに驚く。

 ほぼ生得的である「同性愛」を「治せ」ないものか、異性と結婚しろと親から迫られていて抗しきれない、同性が好きだとクラスでわかってしまっていじめられている……。

 こうした課題を抱えた時、社会の偏見や同性愛嫌悪こそが「おかしい」と考えるのではなく、「自分が同性愛者だからいけないんだ」と考えてしまい、「自分は自分のままでいいんだ」と思えるようになるのにかなりの時間がかかる。「いじめられるような弱い性格だから悪い」と自分を責める人さえいる。同性愛と離れるが、職場であり得ない労働条件で働かされても、契約違反をされても、上司や会社側に「おかしい」と訴えることをはなからあきらめている人も多い。「自己責任」の流行は明らかにこの傾向に拍車をかけた。

 どうやら日本という国は、数十年かけて、力が強いがゆえにより大きな「責任」を持つはずの国家・官僚・企業に対してはとっても「優しく」接する「美風」を国民の中に形成することに成功したようである。自分より弱いもの、立場が異なるものに対しては、「自己責任」「自業自得」「自助努力」などの言葉を駆使して、切って捨てていくのである。いや「捨てる」どころか「むち打つ」ことさえする。宿泊拒否されたハンセン病の元患者さんたちに、人質の家族に、同性愛者の団体に、容赦なく匿名で(=「無責任」に!)誹謗中傷が送り付けられる。

 2005年、「自己責任」ではなく「社会責任」こそが「流行語」となり、人に優しい国家になっていってほしいし、自分もそこへ向けて活動していきたい。