●自分へのカミングアウト、他者へのカミングアウト カミングアウトとは、自分が同性愛者であることを自分以外の人に言い、その人との関係を変えていく“プロセス”に対して付けられた言葉です。もとはアメリカで“coming out of the closet”の短縮形として使われるようになりました。「クローゼット(自分が同性愛者であることを周囲に言えないでいる状態)から出てくる」という意味になります。日本でカミングアウトというと、まるで「秘密の告白」の様に使われていますが、根本的に解釈が違います。
他人にカミングアウトするためには、まず自分自身に対するカミングアウトが必要です。自己否定の状態から、同性に惹かれる自分を認め受け入れる作業です。人は異性を好きになるのが当然、同性を好きになるなんておかしい、という偏見が強い世の中ですから、この「自己受容」という過程を避けることはできません。
●どうして隠れているんですか? 「もっと多くの人がカミングアウトすれば差別や偏見も少なくなるのに、なぜ同性愛の人たちは隠れているんですか?」という質問をされることがあります。カミングアウトしても同性愛嫌悪が突き刺さってこない世の中であれば、それも可能でしょう。しかし今の日本には、まだ多くの偏見があり、カミングアウトしたことで自分を否定されたり、大きなダメージを受ける可能性もあります。
カミングアウト後の変化に直面するのは本人ですから、「する」「しない」は、他人が決めることではなく、本人が決めるべきことです。カミングアウトしたことで相手との関係がより親密になることもあれば、ぎくしゃくすることもあるかもしれません。いろんな可能性を考えながら、最終的には自分が決めるしかないでしょう。
●どうして個人的なことを言うのですか? 「もっとカミングアウトすればいいのに」と言われる一方で、「ゲイとかレズビアンとか、どうしてわざわざ個人的なことを言うの?」と言われることもあります。ダブルバインドですね。
自分が「同性」が好きか「異性」が好きかというのは、本来個人的なことです。ですから、言いたくなければ誰に言う必要もありません。ただし、それには「その個人的なことに対して誰も口を挟まない世の中ならば」という条件が付きます。
しかし、私たちが生きている異性愛中心の社会では、当事者がカミングアウトしない限り、人はみな「異性愛者」ということにされてしまいます。だまっていると、本来の(同性が好きな)自分ではなく、別の(異性が好きな)自分として見られ振舞うことを要求されるわけですから、「同性が好き」という個人的な問題を、あえて「言う」選択をする人がいるのは当然でしょう。