ゲイであることをさりげなく伝えながら、ライブ等で実績を積み重ねている、あるロックアーティストがテレビ出演を依頼されました。よろこんで打ち合わせに臨んだところ、ディレクターに「オネエのアーティストとして出演してくれないか」と言われてショックを受け、自分を偽ることはできないと、けっきょく断ったといいます。
このエピソードに象徴されるように、いまテレビから出演を求められるのは、LGBTの中で圧倒的に「オネエ系」と呼ばれる人たちです。テレビ局側にしっかりとした定義があるとは思えませんが、「男性だけれども、女性のような感性と表現をする人で、面白い発言や行動をたっぷりしてくれる人」が視聴率を稼げる、と考えられているのは間違いありません。
「オネエ系」といっても、さまざまな人が含まれます。トランス女性(割り当てられた性別が男性で女性へ越境する人)、ライフスタイルや表現が女性的なゲイまたはヘテロ男性。かつての「オカマ」枠がこれに当たります。ほとんどの場合、バラエティ的なトークを求められ、自分の性のあり方やライフヒストリーをまじめに語ることはめったにありません。説明されたとしても、かえって混乱(性自認と性的指向が区別されない等)を増すばかりな場合もあります。
「オネエ系」の出演者をからかい、いじる対象にしている番組もたくさんあります。それをテレビで観ている人たちは「こういう人を笑ってかまわないのだ」と学習してしまいます。また「ゲイは女性になりたい人だ」と勘違いする人も現れます。ゲイの中にも多様性があり、どう振る舞うかは一人ひとり違うのに、テレビから流されるひとつのイメージで全体を判断してしまうのです。
こうした番組を当時者が観ているところを想像してください。いっしょにその番組を観ている周囲の人たちが、「オネエ系」が出てくるところで笑ったり見下したりする。笑っている人たちは気付いていませんが、当事者にとっては「針のむしろ」になります。いっしょに笑ったりしないと「オマエもこっちなの?」などと言われて、自分が突っ込まれるかもしれない、それなら無理をしてでもいっしょに笑わざるを得ない…。自分という存在を否定する気持ちが心の中に増えていってしまうのです。 抗議をしても「差別するつもりはなかった」「ご迷惑をかけたとしたらおわびします」という定番の答えが返ってくるばかりで、番組の改善にはなかなかつながりません。
それでも、少しずつテレビ制作にかかわる人たちの中にも、LGBTのことを真摯にとりあげようという人たちが現れ始めています。2008年には、NHK教育テレビ(現在はEテレ)の福祉番組「ハートをつなごう」でNHKで初めて同性愛が取り上げられ、当事者の声もしっかり放送されました。当事者にとっては、等身大の姿を見ることでそうとう勇気づけられました。この番組が実現するまでには、たくさんのディレクターがたくさんの企画書を書いてはボツにされていたそうです。こうした制作者を応援して支えていくことも大切です。
ドラマや映画の中では、LGBTはもともと「いないもの」としてほとんど登場しないか、登場する場合は、悪人にされたり、理不尽に殺されたりして、悪いイメージでしか描かれない時代が長く続きました。それでも少しずつ、自分の人生を生きるリアルな姿も描かれるようなってきました。2018年から19年にかけては、ゲイを主人公にしたドラマ「弟の夫」「きのう何食べた?」「腐女子うっかりゲイに告る」「俺のスカート、どこ行った?」が放送されました。 また、同性愛は「スキャンダル」としても扱われます。さも、同性愛であることが悪いことかのように、スポーツ新聞や週刊誌が「タレント○○に同性愛疑惑」などと伝えている記事をみなさんも見たことがあるのではないでしょうか。
今までのこうした流れを変えていくためにも、ステレオタイプなイメージではなく現実に沿った情報が提供されるよう、メディアに責任を持ってもらいたいし、そうなるようはたらきかけていく必要があります。