いくつかの先進的な学校では、同性愛について、性教育、総合学習、人権学習などで、きちんと扱われている場合もあります。しかし、まだまだ多くの学校では、「思春期になると異性に恋をします」といったことが当り前のように保健体育の授業で扱われたり、同性愛者の存在を全く意識しない授業が行われています。
同性に性的な意識が向かう人は、どの時代にもどの地域にも3~5%いると言われています。つまり、クラスに一人は同性愛者がいる計算になるのです。
自分が同性愛であると認識した子どもは成長するとき、まず、周囲のクラスメートと自分が違うということに不安を感じ、悩みます。周囲には同性愛について否定的な情報が氾濫しているので、自分が異性ではなく同性に惹かれることを、言い出すことはとてもできません。「自分はこのままでいいのだろうか?」「自分という存在はこの世で一人だけなのではないか?」という不安をかかえながら、成長する子どもも多いのです。
ここで、自分が同性に惹かれることを学校の中で言うことがいかに難しいか、という例をあげましょう。これは中学生3年生のゲイの男の子から届いたメールです。
「どーゆー話の成り行きかは忘れたけど、女の子の生徒が、先生に冗談まじりに『ヘンタイだー!』と言いました。先生は『バカ。変態ってゆーのは、男が男を好きになったり、そーゆーのを変態ってゆーんだよ』と冗談まじりに返しました。僕は男で男を好きになった事があり、その恋で素敵な事をたくさん学んだし、成長もしてきました。なんだか、その教師の発言でその恋の輝きを汚されたように感じました。何かを教える立場の大人が同性愛を汚なく見るような教育をすることはいけないことだと思いました」
多くの同性愛の子どもは、誰に相談することもできずに悩んでいるのです。誰かに相談しようと思っても、このメールに出てくるような先生にはとても相談できないでしょう。同性愛の子どもたちが「自分らしく」生き、悩みを相談できるように学校教育では、同性愛についてきちんと教えるべきではないでしょうか。
教員もまだ正確な知識を持っているとは言えません。教員のみなさんは、まず、「同性愛の子ともが自分のクラスに一人はいるんだ」という意識をしっかり持って授業をすることが大切です。日々の授業のなかで、同性愛を差別するような発言を生徒がしたときは、「その言葉は、人を傷つける言葉だから使わない方がいいね」と言ってみたり、保健の授業では、「人は思春期になると恋をしますが、異性に恋をする人もいれば、同性に恋をする人もいます。またどちらにも恋愛感情を持つ人・持たない人もいます。すべて自然なことです」と言ってみたりするのもいいのではないでしょうか。この一言でホッとする、という当事者も多いのです。
また、知り合いの養護教諭の女性は保健室に同性愛に関する本を置いてみたそうです。すると、「この先生は自分を受け入れてくれる」と思ったのでしょう、あるとき、一人の生徒が彼女にカミングアウトしたそうです。同性愛について肯定的な情報をさり気なく発信するのも重要なのではないでしょうか。 学校現場で同性愛について取り上げようとすると、「子どもにそんな知識は不要」「子どもに悪影響を及ぼす」「時期尚早」「国民的理解が得られていない」といった声があがることがあります。
こんなことを言う先生には、クラスに一人は必ず同性愛者がいる、という事実への想像力が欠如しているとしか言いようがありません。とても残念なことです。
最後に、私たちの行った講演先の中学校で、生徒から「今まで同性愛って最低、と思っていたけれど、そう思っていた私の方が『最低』だと気付きました」という感想をもらったことがあることを付け加えておきます。生徒の方がずっと柔軟で素直なことが多いのです。