シェイダさん裁判の争点
−−シェイダさん vs 法務省−−
 日本で初めて、同性愛者であることを理由に難民申請を申し立てたシェイダさん。しかし、法務省は7月、「イランでは同性愛は容認されている」として、シェイダさんの申立を却下し、シェイダさんをイランに強制送還することを決定しました。シェイダさんは、この決定を違法として、東京地裁に法務省を訴えました。闘いの舞台は、行政から司法の場に移されたわけです。
 では、シェイダさんの裁判では何が争われているのでしょうか。
1.裁判の争点:シェイダさんをイランに強制送還するのは違法か適法か
 法務省がシェイダさんの強制送還を決定したのは、「イランでは同性愛は容認されており、帰国させても迫害される恐れはない。したがって、シェイダさんは迫害を受けておらず、難民とは言えない」という考えに基づくものです。
 ここで「難民」の定義を確認しておきましょう。難民条約では、難民とは、人種、宗教、国籍、特定の社会的集団に所属すること、政治的意見を理由として迫害を受ける恐れがあるという「十分に理由のある恐怖」を有しているために、自分の国籍のある国に帰国することのできない人、のことを言います。
 難民条約は、難民を迫害国に強制送還することを禁止しています(ノン・ルフールマン原則)。従って、もし裁判でシェイダさんが「十分に理由のある迫害の恐怖」をもっていると認定されれば、法務省の決定は違法となり、強制送還の決定は取り消されることになります。この裁判の中心テーマは、シェイダさんが難民条約で言う難民にあたるかどうか、ということです。
 なお、この裁判は行政訴訟であり、シェイダさんが原告、法務大臣が被告です。
2.両者の主張:シェイダさんの難民性をめぐって

 上の争点をめぐる両者の主張は、ほぼ以下の2点をめぐって展開されています。

(1)イランでの同性愛者に対する迫害の状況について
 シェイダさん側は、イランには同性愛者を死刑に処す刑法があり、同性愛者への死刑執行が恒常的に行われていると主張しています。これに対し法務省側は「刑法は運用されておらず、同性愛は社会的に容認されている」と反論しています。

(2)「十分に理由のある迫害の恐怖」について
 シェイダさん側は、イランでの同性愛者に対する厳しい政治的・社会的迫害は「十分に理由のある恐怖」であると主張していますが、法務省は「十分に理由のある恐怖」というためには、本人の逮捕・訴追・有罪判決など、個別的具体的事情が必要であると主張しています。

3.検証:法務省の主張

 では、法務省が行っている主張にはどんな問題点があるか検証してみましょう。

(1)イランでは同性愛者は本当に迫害されていないのか
 シェイダさん側は、国際的な人権団体などから資料を取り寄せた結果、90年代のイランで少なくとも14名の人が、同性間性行為の罪により処刑されたことを突き止めました。また、イラン司法当局は同性愛者を死刑に処すという公式見解を示しており、一度も撤回されたことがないこと、イランの国教であるイスラム教シーア派の教学でも、同性愛者は死刑に処すことが示唆されていることも明らかになっています(イランでの弾圧についてのデータはここからご覧下さい)。
 法務省はこれに対して、「イランでは同性愛者は迫害されていない」という主張を行っていますが、その根拠は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)編集の難民情勢に関する資料「UNHCR-REFWORLD」に掲載されているカナダ移民・難民局調査部作成のレポート(1998年)にあります。
 このレポートは、イランについて研究している複数の社会学者(全員匿名)へのインタビューなどを編集したものです。この報告書は、異性愛者の研究者の目から見て「イランでは同性愛者への迫害はそれほど顕著なものではない」という立論で書かれたものですが、「同性愛者であることを認めることは自殺行為である」といった記述も随所に見られ、結局、このレポートが言っていることは、「同性愛者であることを黙っていれば迫害される可能性は低い」ということに過ぎません。カナダの移民・難民局は、このレポートを参考資料の一つにしつつ複数のイラン人同性愛者を難民として受け入れる決定をしています。このレポートだけをもって「イランでは同性愛者は迫害されていない」というのは、あまりにも証拠不十分といえましょう。

(2)「十分に理由のある迫害の恐怖」とは何か
 シェイダさん側は、イランにおける刑法や死刑執行例、社会的迫害などを挙げて、シェイダさんが「十分に理由のある迫害の恐怖」を有していると主張します。それに対して法務省は、個人に対して逮捕状が出ている、訴追されている、有罪判決が出ているなどといった、個別的・具体的事情がなければ「十分に理由のある迫害の恐怖」とは言わないと主張しています。
 国際的に見た場合、法務省の「難民条約」解釈は極めて異端的なものであると言えます。冷戦後、民族紛争が多発し、民族的・宗教的少数派などへの迫害が強まっていますが、これらの迫害は個人を訴追して行うなどといったものではなく、突発的に発生し、不特定多数が生命・身体の危機に陥ることになるのが普通です。こうした状況にてらし、欧米やオーストラリア・ニュージーランドなどでは、「十分な理由のある迫害」の範囲を広く取る方向で難民となる要件を拡大しています。ひとり日本だけが「逮捕、訴追無しには難民としない」という解釈をとっていれば、国際的非難の対象になることは必定です。
 日本でも、数多くの難民の裁判で法務省のこの見解が問題とされており、実際に、逮捕・訴追などの具体的な事実がなくても、特定の集団が置かれた状況によって難民認定を行うことがありうる、ということを明記した判決もすでに出ています。

4.そして、これから
 この裁判は、直接はシェイダさんの難民性を争うものですが、社会的な影響はそこにとどまりません。この裁判が問うているのは、同性愛者にとって、日本がどれだけ開かれた国なのか、ということであり、また、これから日本がどれだけ難民に対して国を開き、国際的な責任を果たしていくことができるのか、ということであると思います。
 裁判は今後ますます本格化していきます。欧米の同性愛者のコミュニティは、世界各地から迫害を逃れて来る同性愛者の難民を仲間として積極的にサポートしていきました。この裁判は、私たち日本の同性愛者コミュニティに対して、迫害を受けている同性愛者たちに対して、私たちが国境を越えて仲間としてつながっていけるのか、それとも国境の中にとどまらざるをえないのか、ということを問うています。
 ぜひとも、シェイダさんに多くの皆さんの支援をお願いいたします。(シェイダさんのサポートについては、ここからご覧下さい)