Q1■同性愛者って昔からいたんですか?
同性を恋愛・性欲の対象にする人の存在は、古くから世界中で記録されていますが、同性愛/異性愛という分け方が意識されるようになるのは、近代に入ってからです。元々その境界線は極めてあいまいなものでした。禁止する必要ができて初めて人為的に境界線が引かれ、名前が付けられたのです。
中世までに、教会や為政者の都合で様々な名前を付けられ排除されていた「同性を恋愛・性欲の対象にする人たち」に、新しく興ったドイツの近代医学が“homosexuality”という「病名」を与えました。この単語は、独立して生まれたものではなく、過剰な性欲や当時の価値観からはずれる恋愛・性欲の形を「治療」しようとして生まれました。「治療」対象の「性」のあり方を対象別に“heterosexuality”(異性愛)“homosexuality”(同性愛)と定義したのです。しかし「異性愛」に対する許容度は、「同性愛」と比べ物にならないほど大きかったため、あっという間に「治療」対象は、「同性を恋愛・性欲の対象にする人たち」だけになってしまいます。
欧米では各国で「ソドミー法」が制定されました。「ソドミー」とは、「不自然」または「異常」とされる性行為の様々な形、特に、肛門性交と獣姦を指します。近代以降は、医学が、同性愛を治療の対象とすることで、異常なものという偏見が強化されます。日本でも江戸時代までに為政者が何度も男性同士の性行為の禁止令を出しています。
その結果、「同性愛」は長い間、「異常性欲の一種」(第3版までの『広辞苑』)などと辞事典に書かれ、それを読んだ若いレズビアン/ゲイが自己否定感を持ってしまう時代が続きました。同性愛者の団体『動くゲイとレズビアンの会(NPO法人アカー)』の粘り強い交渉で、『広辞苑』の文章が「同性の者を性的愛情の対象とすること。また、その関係」に変わったのは、1991年発行の第4版からです。文部科学省も1994年まで、生徒指導の手引書の「性非行」に同性愛を含めていました。
近代に入って確立された資本主義にとっては、男性を「労働力」として際限なくこき使い、女性を家事と子育てに専念させて男性を支えさせる、という分業が最も能率的でした。国を挙げてその体制が推奨されて行く中で、「異性愛」は社会をより強固に支配する価値観になっていき、同性愛者たちは、名前を得ると同時に排除される対象として明確に意識されていきます。
こうした流れの極限はナチス・ドイツでした。ドイツ民族の繁栄に「役に立たない」男性同性愛者を収容所に送り込み、強制労働をさせ虐殺したのです。その時収容所で男性同性愛者たちに付けられたピンクトライアングル(ピンクの三角形)は、後に同性愛者解放運動のシンボルとなります。 “homosexual”(同性愛者)という呼称は、アメリカの公民権運動~フェミニズムと続く流れが同性愛者たちの解放運動を呼び起こす中で、まず「ゲイ」(その意味「陽気な」「前向きな」を強調して、当時者が自分たちの呼称として選びます)に変化し、続いて「ゲイ女性」のおかれている立場は「女性」としての差別も含むという差異性から、「レズビアン/ゲイ」となって今日に至ります。
医学に対する働きかけも、70年代以降、欧米のL&G団体によって取り組まれ、1973年のアメリカ精神医学会をかわきりに(日本は正式には1995年)、同性愛は治療の対象から外されていきます。その過程で、自分の欲望や感情がどこへ向くかを示す価値中立的な「性的指向(Sexual Orientation)」という用語も定着しました。そして「性的指向」が多様であるという「事実」も示されます。1993年には、WHO(世界保健機関)による「国際疾病分類」(ICD)の第10版でも明記されました。
さらに「性自認(Gender Identity)」という言葉も性のあり方を表すキーワードになっていきます。出生時に医師などにより判定されて「割り当てられた」「性別」と別に、自分が望ましいととらえている「性別」を示します。「トランスジェンダー」の人たちは、割り当てれた性別に違和感を持ち、自分の性自認に沿うよう性別を「越境」して生きようとしています。
欧米でまず、レズビアン/ゲイが生身の人間として「存在」している、それは事実であり「いいか悪いか」の問題ではないというアピールが始まり、続いてトランスジェンダーの人たちもその存在を訴え始めます。このふたつの活動を結ぶ言葉として「LGBT」が生まれました(「B」はバイセクシュアル)。「LGB」が性的指向、「T」が性自認に関わります。さらにこの枠組みの中には自分が納得いく立ち位置がないと感じる人もいることから、「LGBTs」などと表現される場合もあります。「定義」には限界があり、境界線も曖昧ですが、まず自分を表現する言葉を見つけて自分を認識する必要があります。「登録された性別に違和感を感じず、異性に欲望や感情が向くのが当然」とされる現代の社会では、自分の言葉で自分を語り訴えていかなければならないのです。
Q2■同性愛の人たちのことは何と呼べばよいのですか?
男性同性愛者のことは「ゲイ」、女性同性愛者のことは「レズビアン」と呼んでください。
社会から「少数派」と見なされる人には名前が付けられ、さまざまなレッテルが貼られ、歪んだイメージが形成されていくことがあります。同性を恋愛・性欲の対象にする人たちに対しても、さまざまな呼ばれ方がされてきました。したがって、同性を好きになることを自覚した人は、自分を理解し認識していく過程で、まず社会が貼ったレッテルで自己認識せざるを得ません。現代の日本で言えば、メディアが使っている「ホモ」「レズ」「オカマ」「オネエ」などがそれに当たるでしょう。
オネエ系とされるタレントと、罰ゲームでキスをする場面がいまだにテレビで見られますが、視聴者の中には「オネエ系=(男性)同性愛者」と安易に捉える人もいます。そして、そこでは「笑い」が起こるよう演出されていることが多いのも特徴です。オネエなどの言葉で表現される人が出てきたら、「笑っていい」という合意が送り手と受け手の間に成立してしまうのです。それは幼稚園の子どもでさえ、誰かをからかい嘲笑するときの言葉として使っているほど浸透していきます。絶えず、こうした言葉でからかわれ心に傷を負う人が再生産されているのです。
より広範囲の人々が自分の性のありようを受容していくためには、肯定的な呼び名は不可欠になります。同性を恋愛・性欲の対象にする人たちは、自分で自分たちをどう呼ぶかを決めることから社会に自分たちの存在を受け入れさせる動きを開始しました。その中で「ゲイ」「レズビアン」という言葉が自称として使われるようになっていったのです。「ゲイ」「レズビアン」という言葉があるのに、人を傷つける可能性のある「ホモ」「レズ」「オカマ」「オネエ」をわざわざ使うならば、意図的に否定的なニュアンスを入れた、と捉えられてしまうかもしれません。特にメディアが表現するときには十分な配慮が必要だということになります。(注)
より人に優しい言葉を使い、人に不快感を与える可能性が高い言葉は、フェイドアウトさせていくのが「共生」時代のマナーです。 なお、「オカマ」「オネエ」は、ゲイ男性ばかりではなく、「男らしく」ない男性一般に対する蔑称として広く使われています。したがって、「オネエ系タレント」の中には、トランスジェンダーと表現した方がいい(自分で決めるものですが)と思われる方も多くいます。これは、「男らしさ」(ジェンダー)の中に「異性を愛すること」という条項も強力に入っており、異性愛であることを強制する力が巨大であることをも意味しています。
★注当事者同士で使う「ホモ」「レズ」 当事者の中には、仲間内で話す際に、「ホモ」や「レズ」といった言葉を使う人もいます。自虐的な意味で使うこともありますし、仲間という感覚を覚えるのに便利な言葉としても使われます。しかし、これらの言葉は信頼関係があってこそだと思います。その言葉の重さを知っている人だから(状況によって)使える言葉であって、当事者が使っているからといって安易に使わない方が無難でしょう。
Q3■子どもが同性愛者だってわかったら、親はどうすればいいのですか?
親の育て方が間違っていたから、子どもが同性愛になったのではありまん。親の育て方と子どもの性的指向には、何の関連もありません。子どもが同性愛者であることに関して、親に責任はないのです。子どもの問題を引き受けすぎて、自分を責めるのはやめましょう。
逆に子どもを責めてもいけません。子どもが同性愛者であることについて、本人には責任がありません。性的指向は、自分で選び取ることはできないのです。同性愛者の子どもの多くは、いつかはみんなと「同じ」になりたいと願い、何度も異性を好きになろうと試みます。それでも、異性に関心が向かない自分を認めざるを得なくなり、やっとのことで相談に来るのです。
ですから、子どもの性的指向を治そうとしても、治りません。同性愛はすでに治療の対象から外されていますから、相談にのりアドバイスをしてくれる神経科はあっても、治してくれる神経科はありません。そもそも治す必要がないのですから。
ではここで、自分は同性愛の子を持つ親なのだ、という事実を受け入れるにはどうすればいいかを一緒に考えてみましょう。焦る必要はありません。あなた自身のペースで受け入れていってください。
そのためにはまず、同性愛に関する正確な情報を得て、正確な知識を身につけましょう。「知る」ことがあなたの偏見を取り除き、あなたの心をいくらかでも楽にしてくれるはずですから。
あなたは今、あなたが持っている同性愛者のイメージと、自分の娘や息子を照らし合わせて、混乱しているのかもしれません。そもそも自分が持っている同性愛者のイメージは、どうやって形成されたのかを考えてみましょう。そのイメージの元となっているのは、ネットですか? テレビですか? 新聞ですか? 雑誌ですか? メディアが流す情報によって、あなたは同性愛者に対して歪んだイメージを持たされているのかもしれません。情報発信者の中に「偏見」があると、その偏見を重ねた姿に同性愛者を描こうという意識が入ります。そして、それを見た視聴者や読者にも、「同性愛は○○だ」といった偏見が再生産されます。
しかし、あなたの目の前にいる子どもは、メディアによって描かれた同性愛者ではなく、生身の人間です。あなたと同じように、泣いたり、笑ったり、怒ったり、喜んだり、悩んだりしながら生きているのです。性的指向が同性に向かっているということ以外は、あなたと同じです。
親の側に「偏見」という色眼鏡があると、子どもにもその「偏見」を重ねてしまいます。その「偏見」は、親の中に「恥」や「不安」や「恐れ」といった感情を生み出します。それらの感情の元となる「偏見」をそのままにしておくと、子どもの存在を認められなかったり、子どもの同性指向を治そうとしたり、子どもを拒絶したりしてしまいます。そして何より、自分が「同性愛者の子を持つ親」であることを受け入れるのが難しくなってしまいます。それは親にとっても、子どもにとっても悲しいことです。 ならばどうすればいいか? 答えはいたってシンプルです。頭の中にある「偏見」を捨ててしまいましょう。これまでメディアから受け取った間違った同性愛の情報は全部捨てて、頭の中を真っ白にしてみましょう。そして新たに、正確な情報を取り入れていけばいいのです。今では、当事者の団体も全国にありますし、正確な情報を発信しているLGBTのサイトや、書籍も多数出版されています。
参考団体 NPO法人「LGBTの家族と友人をつなぐ会」http://lgbt-family.or.jp/
Q4■友人から「ゲイ」「レズビアン」だとカミングアウトされました。
友人があなたにカミングアウトをしたということは、たぶんあなたのことを信頼しているからだと思います。同性愛者の多くは、カミングアウトしたことによって、もし相手から拒絶されたらどうしようという不安を抱えています。不安の度合いは人により様々ですが、それを乗り越えて、本当の自分は何者なのかをあなたに伝えようとしているわけですから、そんな彼・彼女の気持ちに共感してくれたら、こんなにうれしいことはありません。
もしも、あなたが自分にとってすごく大切なことを友人に打ち明けたり相談したとしたら、あなたなら、友人にどんなふうに接してほしいですか? あなたがしてほしいと思うことを、友人にもしてあげましょう。あなたがしてほしくないことは、その友人にとっても、してほしくないことなのではないでしょうか。
もし私が誰かにカミングアウトをしたら、私という人間について、そして私が同性愛者であることについて、誠実な関心を寄せてほしいなと思います。人間にとって一番傷つくのは、関心を持ってほしい相手から拒絶されることかもしれません。友だちと人間関係を創っていくためには、「わかり合う」という作業が必要です。お互いに相手に無関心で「わかり合う」ことは不可能ですから。
本来人間には、自分も相手も傷つけずに、自分の想いを伝える力があります。それは「自分を信じる力=相手を信じる力」と言い換えてもいいでしょう。わからないことが出てきたら、率直に相手に質問してみましょう。多少失礼な質問であっても、あなたに悪意がなければ、きっと相手は誠意を持って答えてくれると思いますよ。
そもそも何もかも全てわかり合うのは不可能なわけですから、完璧を求めず、むしろ少しずつわかり合っていくプロセスを楽しみながら、お互いの可能性を信じてコミュニケーションを続けていくことが大切です。関係性にゴールはないのですから。
Q5■同性の友人に好きだと言われました
同性の友人から告白されて、驚く人は少なくないと思います。その告白に、「どうすればいいの?」と悩んでしまう人もいます。
ここで考えてほしいのは、これが異性でも起こり得るということです。予想もしていなかった異性の友人からの告白に、多くの人はやはり驚くと思います。しかし、ほとんどの場合、ときに悩みながら自分なりの答えを出します。相手が同性だとしても、それは同じです。
したがって、「どうすればいいの?」という質問には、シンプルな方法を伝えることにしています。あなたが相手と恋愛的な関係をつくりたいと思っているなら「はい」、そうでないなら「いいえ」です。そして、これを「誠意をもって」伝えることが重要だと思います。
●気まずくなるのでは? 告白してきた友人と仲がよい場合、その後の関係が気まずくなるのではと心配する人も多く見受けられます。それは相手が異性でも同じです。仲のよい異性の友人から告白された場合でも、その後の関係は多少なりとも変化すると思われます。すぐ元通りになることもあれば、そのまま距離ができてしまうこともあります。それまで友人だと思っていたところに、恋愛的な感情が向けられていたことが明らかになったのですから、百パーセント関係性が変化しない方が不思議だと思います。
これと同じことが、同性間でも起こりえるのです。仲のよい友人との関係性の変化に、とまどい、悲しくなる人もいるかもしれません。人間関係ですから、楽しいことばかりではなく、いろいろなことが起こります。告白によって関係が気まずくなることもあるでしょう。
しかし、これは相手の性別に関係なく、人間関係がある以上、仕方のないことです。人間関係に完璧な答えはありませんが、正直に、「誠意をもって」対応することを目指してはいかがでしょうか。
●誠意のある対応とは 誠意のある対応とは「むやみに相手を傷つけない」ことです。相手の申し出を断る場合、それだけで傷つけることもあるかもしれません。しかし重要なのは「むやみに」の部分です。つまり、意図的に傷つけないのはもちろんのこと、相手を傷つける恐れがある言動は極力控えることが大切なのです。
したがって、「ありえない」、「気持ち悪い」などのような発言には問題があります。異性の友人に告白されて、「気持ち悪い」などと返すでしょうか。マナーは人によって考え方が異なるものですが、少なくとも、好意を示してきた相手を罵ることがマナー違反であることに異論はないでしょう。それは相手の性別にかかわらず共通ではないでしょうか。
そして、もう一つ付け加えておきたいことがあります。異性愛と同性愛の置かれている状況から考えて、告白してきた相手が同性の場合は、より配慮が必要な部分もあります。それが、告白されたことを第三者に伝える時です。
異性愛が「普通」とされている社会では、同性に好意があると知られるだけで、社会生活を送ることが困難になることがあります。学校や職場での嫌がらせやいじめなどで、結果的にその集団にいることができなくなってしまうことがあるのです。人によっては、精神的に追い詰められ、最悪の場合、自ら死を選ぶ人もいます。
告白を受けたあなたに、「誰にも話してはいけない」とは言えません。しかし、同時にできるだけの配慮をお願いしたいとも思います。例えば、相談する相手を、告白してきた友人とは面識のない人にするのはいかがなものでしょうか。一番現実的で、ほとんどの人ができる範囲の配慮だと思います。
Q6■ゲイで困ることって、何ですか?(制度に係る困難)
多くのゲイは独身男性と見なされるので、制度上は単身者と同じ扱いを受けます。したがって、ゲイであること自体が困難の原因になるとはいえないかもしれません。しかし、ゲイがパートナーと人生を共にするとき、多くの困難に遭遇します。これは、同性カップルが制度上保障されていないためです。ここでは、主にゲイがパートナーとの関係を、異性愛カップルと同じように扱われないことによる不利益について取り上げます。
●賃貸契約 不動産屋は協力的であることが多いが、大家に断られるケースが少なくないといいます。とりわけ男性同士が部屋を借りようとすると、「騒いでうるさいのではないか」、「怪しい人たちなのではないか」など、根拠のない印象論で疑われることさえあるようです。
部屋を借りる際の困難は同性カップルだけではありません。大家が望む世帯の形や借りる人の性質(職業、年齢、国籍など)から外れることで、賃貸契約を拒否されることもあります。安定した収入確保のために慎重になるのは理解できますが、印象論で判断されて住む場所を見つけにくい人が出てしまうのは大問題です。
●医療 パートナーが病気にかかったり事故に遭った場合、病院で自分たちの関係性をどう説明していいか悩む人が多いといいます。パートナーに意識がない場合、関係性を説明しても、症状の説明や手術の意思決定の場に参加させてもらえなかったり、面会できなかったりすることもあります。本人に意識がない場合、日本では戸籍上の親族が代わりに意思決定をする慣習がありますが、実際には親族でないと認められないというわけではありません。しかし、同性カップルを親族と同じように扱ってくれる病院、医療関係者ばかりではないのが現状です。
このため、予めお互いの関係性や意思を文書にしておくカップルもいます。この文書に沿って病院が対応してくれる保証はないのですが、病院側に主張する際の一つの参考資料にはなるでしょう。さらに、この文書をより正式なものにするために、公正証書【注】にしておくカップルもいます。
一方、2016年から神奈川県の横須賀市立病院では、病状の説明を受ける、手術の同意をするなどの権利が同性パートナーにも認められるようになりました。こうした取り組みは、全国に広がりつつあります。
●税金、保険、相続 同性カップルは単身者が二人いるという扱いをされるため、結婚している男女が(片方の収入によっては)利用できる配偶者控除は受けられません。同じように、片方が扶養に入れば健康保険料は免除され、三号被保険者(厚生年金、共済年金の場合)になることもできますが、同性カップルはできません。この制度は両方に一定の収入がある場合は利用できないので、結婚している男女全てに利益があるわけではありませんが、同性カップルにはその選択肢すらもないのです。
さらに、同性カップルが長い間一緒に人生を歩んでいたとしても、相続を受けられるわけではありません。遺言を残して相続(厳密には遺増)することは可能ですが、亡くなったパートナーに父母または子がいる場合、法定遺留分があるため遺言が全て実際に反映されるとは限らないのです。また、法定相続人ではないので、相続税に違いがあります。
●福利厚生 企業など多くの職場では、配偶者や家族向けの福利厚生があります。結婚休暇や忌引き、結婚祝い金、配偶者手当などが代表的です。これらは法律婚だけでなく、事実婚の男女にも認められることがありますが、同性カップルには認められないことが多いです。
しかし、近年、これら福利厚生を同性カップルにも適用しようという企業も出てきています。企業以外では、千葉市が全国の自治体で初めて、同性パートナーがいる職員にも結婚休暇などを認めると発表しました(2017年から)。このように、同性カップルにも異性カップル同様の福利厚生が得られる環境が、少しずつ増えていくことが期待されています。
【注】公正証書とは法律の専門家である公証人が法律に従って作成する公文書のこと。全国にある公正役場でつくることができます。遺言もこの一種です。
Q7■ゲイで困ることって何ですか?(心理的な困難)
ゲイ男性は、基本的に異性愛の男の子として育てられ、本人が自分の性的指向を自覚するようになってからも、家族や友人や教師など周囲の人間は、異性が好きであることを前提に接してきます。私たちが生きている社会には「男らしさ」「女らしさ」という社会的な性役割の縛りがあって 、男の子には、社会が求める「男らしさ」を身につけさせるような圧力が、常に働いています。 男が「男」になるためには、「男」が主体となって「女」を愛し、「女」とセックスをし、「女」をリードしていかなければなりません。
こういう社会では、「男」は自分が同性愛者でないことを証明し続けなければなりません。その例として、テレビのお笑い番組などに出てくる、「ホモネタ」「オネエネタ」があります。例えば「お前ホモなんちゃう? 襲わんといて」と言って、わざと尻をつき出して笑いを取ったりします。
「ホモネタ」を演じるのは、ほとんどが男性タレントです。「ホモ」「オネエ」を演じ、笑い者にすることで、逆に自分が「そっちの人」ではないことを証明でき、なおかつ笑いが取れるわけですから、一石二鳥なわけです。
一方、視聴者にとっては、「ホモネタ」を見て「笑う」ということが、自分が同性愛者ではないことの証明になります。当事者の子どもが、親や友人と一緒にテレビを見ていて、「ホモネタ」が出てきたときに周囲の人間が笑ったら、それは間接的であれ、自分が笑われたに等しいわけですから、当然傷つきます。同性を好きになる気持ちや、性的な欲望を「笑い」という形で否定されるのは、明らかな人権侵害です。しかし、当事者はなかなかそこで声を上げることができません。さらに、ただ黙っているだけでは、すまされないこともあります。自分も同調して笑わないと、「おまえホモなんじゃないの?」という疑いをかけられるかもしれないからです。そこで、笑うことを選択せざるを得ない当事者もいます。本当は笑いたくないのに、顔は笑っているわけですから、本人にしてみれば、やり切れません。
「すこたん!」には、ゲイの当事者から「演技をしていることがつらい」という相談が頻繁に来ます。彼等のほとんどが、どこにも相談できる場所がなく、親身に話を聞いてくれる人を見つけられない中で、やっとの思いで「すこたん」にたどり着きます。
当事者の大変さは、一人ひとり違います。中には、クローゼットにいることがそれほど苦にならないという人や、自分がゲイであることを比較的肯定的に捉え、安心できる友人にはカミングアウトしている、という人もいます。しかし、大変ではない人の例を一般化し「ゲイはそんなに大変じゃないよ」と言うことはできません。
社会人になると、ゲイには結婚プレッシャーが現実の問題としてのしかかってきます。職種によっても違いますが、特に金融業などでは「結婚」していることが男性の社会的な信用と関わってくるために、結婚しないと昇進できない企業もあります。
ゲイ男性は、企業社会の中にあっても、(カミングアウトしなければ)やはり異性愛者の男性として扱われます。「男」を朝から晩までこき使うためには、身の回りの世話をしてくれる主婦「=女」が必要です。結婚制度は、企業が男をフルタイムでこき使うための装置としても機能しているのです。そして周囲は「早く一人前の男になれ=結婚しろ」という圧力をかけてきます。
また、男性は、家制度がなくなった今でも「○○家」の継承者としての役割を親や世間から期待されていますから、女性とは別の意味での結婚プレッシャーがあります。すこたん!にも、「家業を継がなければならないのですが、結婚したくありません」とか「長男である自分が結婚しないと○○家が途絶えてしまいます」とか「上司にソープに連れて行かれるのが苦痛でなりません」といった相談が届きます。
Q8■学校教育の中で同性愛はどんなふうに取り扱われていますか?
いくつかの先進的な学校では、同性愛について、性教育、総合学習、人権学習などで、きちんと扱われている場合もあります。しかし、まだまだ多くの学校では、「思春期になると異性に恋をします」といったことが当り前のように保健体育の授業で扱われたり、同性愛者の存在を全く意識しない授業が行われています。
同性に性的な意識が向かう人は、どの時代にもどの地域にも3~5%いると言われています。つまり、クラスに一人は同性愛者がいる計算になるのです。
自分が同性愛であると認識した子どもは成長するとき、まず、周囲のクラスメートと自分が違うということに不安を感じ、悩みます。周囲には同性愛について否定的な情報が氾濫しているので、自分が異性ではなく同性に惹かれることを、言い出すことはとてもできません。「自分はこのままでいいのだろうか?」「自分という存在はこの世で一人だけなのではないか?」という不安をかかえながら、成長する子どもも多いのです。
ここで、自分が同性に惹かれることを学校の中で言うことがいかに難しいか、という例をあげましょう。これは中学生3年生のゲイの男の子から届いたメールです。
「どーゆー話の成り行きかは忘れたけど、女の子の生徒が、先生に冗談まじりに『ヘンタイだー!』と言いました。先生は『バカ。変態ってゆーのは、男が男を好きになったり、そーゆーのを変態ってゆーんだよ』と冗談まじりに返しました。僕は男で男を好きになった事があり、その恋で素敵な事をたくさん学んだし、成長もしてきました。なんだか、その教師の発言でその恋の輝きを汚されたように感じました。何かを教える立場の大人が同性愛を汚なく見るような教育をすることはいけないことだと思いました」
多くの同性愛の子どもは、誰に相談することもできずに悩んでいるのです。誰かに相談しようと思っても、このメールに出てくるような先生にはとても相談できないでしょう。同性愛の子どもたちが「自分らしく」生き、悩みを相談できるように学校教育では、同性愛についてきちんと教えるべきではないでしょうか。
教員もまだ正確な知識を持っているとは言えません。教員のみなさんは、まず、「同性愛の子ともが自分のクラスに一人はいるんだ」という意識をしっかり持って授業をすることが大切です。日々の授業のなかで、同性愛を差別するような発言を生徒がしたときは、「その言葉は、人を傷つける言葉だから使わない方がいいね」と言ってみたり、保健の授業では、「人は思春期になると恋をしますが、異性に恋をする人もいれば、同性に恋をする人もいます。またどちらにも恋愛感情を持つ人・持たない人もいます。すべて自然なことです」と言ってみたりするのもいいのではないでしょうか。この一言でホッとする、という当事者も多いのです。
また、知り合いの養護教諭の女性は保健室に同性愛に関する本を置いてみたそうです。すると、「この先生は自分を受け入れてくれる」と思ったのでしょう、あるとき、一人の生徒が彼女にカミングアウトしたそうです。同性愛について肯定的な情報をさり気なく発信するのも重要なのではないでしょうか。 学校現場で同性愛について取り上げようとすると、「子どもにそんな知識は不要」「子どもに悪影響を及ぼす」「時期尚早」「国民的理解が得られていない」といった声があがることがあります。
こんなことを言う先生には、クラスに一人は必ず同性愛者がいる、という事実への想像力が欠如しているとしか言いようがありません。とても残念なことです。
最後に、私たちの行った講演先の中学校で、生徒から「今まで同性愛って最低、と思っていたけれど、そう思っていた私の方が『最低』だと気付きました」という感想をもらったことがあることを付け加えておきます。生徒の方がずっと柔軟で素直なことが多いのです。
Q9■メディアは同性愛者の姿をきちんと伝えていますか?
ゲイであることをさりげなく伝えながら、ライブ等で実績を積み重ねている、あるロックアーティストがテレビ出演を依頼されました。よろこんで打ち合わせに臨んだところ、ディレクターに「オネエのアーティストとして出演してくれないか」と言われてショックを受け、自分を偽ることはできないと、けっきょく断ったといいます。
このエピソードに象徴されるように、いまテレビから出演を求められるのは、LGBTの中で圧倒的に「オネエ系」と呼ばれる人たちです。テレビ局側にしっかりとした定義があるとは思えませんが、「男性だけれども、女性のような感性と表現をする人で、面白い発言や行動をたっぷりしてくれる人」が視聴率を稼げる、と考えられているのは間違いありません。
「オネエ系」といっても、さまざまな人が含まれます。トランス女性(割り当てられた性別が男性で女性へ越境する人)、ライフスタイルや表現が女性的なゲイまたはヘテロ男性。かつての「オカマ」枠がこれに当たります。ほとんどの場合、バラエティ的なトークを求められ、自分の性のあり方やライフヒストリーをまじめに語ることはめったにありません。説明されたとしても、かえって混乱(性自認と性的指向が区別されない等)を増すばかりな場合もあります。
「オネエ系」の出演者をからかい、いじる対象にしている番組もたくさんあります。それをテレビで観ている人たちは「こういう人を笑ってかまわないのだ」と学習してしまいます。また「ゲイは女性になりたい人だ」と勘違いする人も現れます。ゲイの中にも多様性があり、どう振る舞うかは一人ひとり違うのに、テレビから流されるひとつのイメージで全体を判断してしまうのです。
こうした番組を当時者が観ているところを想像してください。いっしょにその番組を観ている周囲の人たちが、「オネエ系」が出てくるところで笑ったり見下したりする。笑っている人たちは気付いていませんが、当事者にとっては「針のむしろ」になります。いっしょに笑ったりしないと「オマエもこっちなの?」などと言われて、自分が突っ込まれるかもしれない、それなら無理をしてでもいっしょに笑わざるを得ない…。自分という存在を否定する気持ちが心の中に増えていってしまうのです。 抗議をしても「差別するつもりはなかった」「ご迷惑をかけたとしたらおわびします」という定番の答えが返ってくるばかりで、番組の改善にはなかなかつながりません。
それでも、少しずつテレビ制作にかかわる人たちの中にも、LGBTのことを真摯にとりあげようという人たちが現れ始めています。2008年には、NHK教育テレビ(現在はEテレ)の福祉番組「ハートをつなごう」でNHKで初めて同性愛が取り上げられ、当事者の声もしっかり放送されました。当事者にとっては、等身大の姿を見ることでそうとう勇気づけられました。この番組が実現するまでには、たくさんのディレクターがたくさんの企画書を書いてはボツにされていたそうです。こうした制作者を応援して支えていくことも大切です。
ドラマや映画の中では、LGBTはもともと「いないもの」としてほとんど登場しないか、登場する場合は、悪人にされたり、理不尽に殺されたりして、悪いイメージでしか描かれない時代が長く続きました。それでも少しずつ、自分の人生を生きるリアルな姿も描かれるようなってきました。2018年から19年にかけては、ゲイを主人公にしたドラマ「弟の夫」「きのう何食べた?」「腐女子うっかりゲイに告る」「俺のスカート、どこ行った?」が放送されました。 また、同性愛は「スキャンダル」としても扱われます。さも、同性愛であることが悪いことかのように、スポーツ新聞や週刊誌が「タレント○○に同性愛疑惑」などと伝えている記事をみなさんも見たことがあるのではないでしょうか。
今までのこうした流れを変えていくためにも、ステレオタイプなイメージではなく現実に沿った情報が提供されるよう、メディアに責任を持ってもらいたいし、そうなるようはたらきかけていく必要があります。
Q10■「カミングアウト」ってどういう意味ですか?
●自分へのカミングアウト、他者へのカミングアウト カミングアウトとは、自分が同性愛者であることを自分以外の人に言い、その人との関係を変えていく“プロセス”に対して付けられた言葉です。もとはアメリカで“coming out of the closet”の短縮形として使われるようになりました。「クローゼット(自分が同性愛者であることを周囲に言えないでいる状態)から出てくる」という意味になります。日本でカミングアウトというと、まるで「秘密の告白」の様に使われていますが、根本的に解釈が違います。
他人にカミングアウトするためには、まず自分自身に対するカミングアウトが必要です。自己否定の状態から、同性に惹かれる自分を認め受け入れる作業です。人は異性を好きになるのが当然、同性を好きになるなんておかしい、という偏見が強い世の中ですから、この「自己受容」という過程を避けることはできません。
●どうして隠れているんですか? 「もっと多くの人がカミングアウトすれば差別や偏見も少なくなるのに、なぜ同性愛の人たちは隠れているんですか?」という質問をされることがあります。カミングアウトしても同性愛嫌悪が突き刺さってこない世の中であれば、それも可能でしょう。しかし今の日本には、まだ多くの偏見があり、カミングアウトしたことで自分を否定されたり、大きなダメージを受ける可能性もあります。
カミングアウト後の変化に直面するのは本人ですから、「する」「しない」は、他人が決めることではなく、本人が決めるべきことです。カミングアウトしたことで相手との関係がより親密になることもあれば、ぎくしゃくすることもあるかもしれません。いろんな可能性を考えながら、最終的には自分が決めるしかないでしょう。
●どうして個人的なことを言うのですか? 「もっとカミングアウトすればいいのに」と言われる一方で、「ゲイとかレズビアンとか、どうしてわざわざ個人的なことを言うの?」と言われることもあります。ダブルバインドですね。
自分が「同性」が好きか「異性」が好きかというのは、本来個人的なことです。ですから、言いたくなければ誰に言う必要もありません。ただし、それには「その個人的なことに対して誰も口を挟まない世の中ならば」という条件が付きます。
しかし、私たちが生きている異性愛中心の社会では、当事者がカミングアウトしない限り、人はみな「異性愛者」ということにされてしまいます。だまっていると、本来の(同性が好きな)自分ではなく、別の(異性が好きな)自分として見られ振舞うことを要求されるわけですから、「同性が好き」という個人的な問題を、あえて「言う」選択をする人がいるのは当然でしょう。
Q11■日本では同性愛者は結婚できるのですか?またそれに代わる制度がありますか?
2019年現在、日本では同性間の婚姻は認められていません。しかし、2015年11月に東京都世田谷区と渋谷区で、同性パートナーシップを承認する取り組みが始まりました。婚姻契約と異なり、法的な拘束力はないまたは弱いと言われていますが、地方自治体が同性パートナーシップを初めて公認するということで、注目を集めました。その後、同様の取り組みが他の自治体にも広がってきています。
現在のところ、地方自治体が同性パートナーシップを承認する方法として、以下の二つのタイプがあります。
●要綱 世田谷区をはじめ、多くの自治体は、要綱によって同性パートナーシップを承認する仕組みを採用しています。要綱とは、自治体などが作成する事務上のマニュアルのことをいいます。ここでは一例として、「世田谷区パートナーシップの宣誓の取り組み」について紹介します。この取り組みでは、同性カップルが所定の宣誓書を区職員に提出し、区長に対してパートナーシップの宣誓をおこなうことで、宣誓書の写しと受領書が交付されます。宣誓は比較的簡単な手続きで、かつ無料でおこなうことができます。双方が20歳以上で、区内に同一の住所を有する(または一方が区内に住所を有し、かつ他の一方が区内への転入を予定している)ことが条件とされています。
法的な拘束力はありませんが、お互いの関係性を説明する際に役立つかもしれません。また、同性愛が社会的に認められることが少ない中で、自治体という公的な機関に同性パートナーシップが承認されることが、当事者の精神的な安心感につながる効果も期待できます。
●条例 条例によって同性パートナーシップを承認する仕組みをつくった自治体もあります。渋谷区は、「渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例」を制定し、その中で「パートナーシップ証明」を発行することができるとしました。
条例には、渋谷区営住宅条例や渋谷区区民住宅条例などにおいても、今回の条例の趣旨が尊重されると記されています。従って、この証明書を取得することによって、区営住宅への入居ができるようになると考えられます。また、医療機関における家族だけに認められた措置(面会や治療の説明など)を同性パートナーにも適用する、企業などの福利厚生で差別的扱いがあれば是正されるなどの効果が期待されます。渋谷区の条例では、区・区民・事業者による性的少数者への差別を禁止すると明記されており、違反した事業者の名前を公表することも可能としているので、より影響力があるという意見もあります。
対象は渋谷区在住の20歳以上の同性カップルで、証明書発行には以下の書類を用意し、区役所に提出する必要があります。①戸籍謄本、②公正証書を二種類(相互の任意後見人契約=2人分、合意契約)。特例により、任意後見人契約が免除されることもありますが、基本的には公正証書を三枚(三つの契約)作成することになります。公正証書をつくるには、任意後見人契約で約一万五千円(一人分)、合意契約で約一万千円かかります。そのほかに、パートナーシップ証明発行の手数料として三百円、公証人に発行してもらう前に弁護士や行政書士に相談をすれば別途費用がかかります。
このように、渋谷区のパートナーシップ証明書を取得するのには、公正証書をつくる必要があるので、世田谷の取り組みと比べると時間や手間、費用が多くかかります。しかし、あくまで事務上のマニュアルである要綱と異なり、条例は議会で承認され制定されているので、区が取り組みを簡単には中断、縮小できないという利点もあると言われています。
ここでは世田谷区と渋谷区について説明しましたが、2019年7月現在、全国24の自治体で同様のパートナーシップ制度が導入されています。現在検討中の自治体も多く、今後も大幅に増える見込みです。
北海道札幌市・東京都中野区・東京都豊島区・東京都江戸川区・東京都府中市・群馬県大泉町・千葉県千葉市・神奈川県小田原市・神奈川県横須賀市・栃木県鹿沼市・茨城県・三重県伊賀市・兵庫県宝塚市・大阪府大阪市・大阪府堺市・大阪府枚方市・岡山県総社市・福岡県福岡市・福岡県北九州市・熊本県熊本市・宮崎県宮崎市
こうした自治体の取り組みは、日本の同性愛者の人権を保障していこうとする中で大きな前進であると言えます。しかし、法的拘束力がないまたは弱いこと、婚姻に比べて得られる利点が少ないことなど、自治体でおこなえることには限界があります。現在は実質的に異性間に限定されている婚姻を同性間にも広げること、または婚姻に準ずる制度をつくることを視野に入れた、政府や国会レベルでの議論が望まれます。
Q12■どうやって友達や恋人を探したらいいでしょうか?(ゲイ編)
日常生活では、なかなかゲイの友達や恋人を探しづらいかもしれません。しかし、その分、様々な出会いの方法、場所がつくられてきました。代表的なものを紹介します。特徴や注意点なども多少織り交ぜましたが、見聞きしたことなど、経験に基づいていますので必ずしも絶対ではありません。自分に合う探し方を見つける際の参考になれば幸いです。
①アプリ、SNS 近年、多くのゲイが利用しているといわれるのが、スマートフォン向けのアプリです。ゲイ用につくられたものがほとんどで、プロフィールや写真(顔を載せなくてもよい)を登録し、気に入った人がいればメッセージ等を送れるようになっています。また、GPSで近くにいる利用者がわかる機能を備えたものが多いのも特徴です。ネット上に自分の情報を載せることを不安に感じる人がいる一方で、近くに「これだけ仲間がいる」ことを知って安心したと語る当事者もいます。
そして、Twitterなど、ゲイ用でないSNSを出会いのツールとして用いる人も増えてきています。ゲイをオープンにした別アカウントを作って、「ゲイ用」として使う人が多いようです。ゲイ用アプリと異なり、発信できる情報量が多く、相手の性格や趣味などがわかりやすいという点を評価する意見もあります。一方で、もとが出会いのツールではないので、一度何かで知り合った人との「つながり」を持つために利用する人も多いようです。
ただ、実際に会ったことのない人とのコミュニケーションは難しいという声をよく耳にします。意思疎通が取れず、会うことにはならなかった、会ってみたらお互いの求めているものが違ったなど、満足のいく結果にならないことも珍しくないといいます。
しかし、日常で出会うチャンスが少ないゲイにとって、これらが有用なツールの一つであるとは思います。インターネットがなければ絶対に出会わないような人と知り合えるかもしれませんし、興味のある人は試してみるといいでしょう。その際、トラブルを避けるため、個人情報に注意する、自分の希望を伝える(友達が欲しいのか、恋人が欲しいのかなど)、自分がしたくないことは断る、相手にも強制しないといった点に、気をつけるといいかもしれません。
②NPOなどのイベント、スペース 主に都市部では、NPOなどが主催するイベントが定期的に行われています。若年層や中年層に特化したイベントや、「語り合う」ことを重視したイベントなど、種類は様々です。ゲイだけでないセクシュアリティ・ミックスなイベントもあります。また、一部のNPOは気軽に立ち寄れるスペースを提供しているので、行ってみるのもいいかもしれません。
NPOなどが開催するイベントは、当事者がスタッフをしていることが多く、初めての人でも話しやすい工夫がされているのが特徴です。アプリは一対一の出会いが多いので、一度に多くのゲイに会うことに緊張される人もいますが、直接会ってからコミュニケーションを始める方が仲良くなりやすいと感じて、積極的に利用する人もいます。
③グループの飲み会やパーティ 一般的な飲み会に比べて、人数の多い飲み会やパーティが近年増えてきています。単にゲイの知り合い同士で集まった大規模な飲み会もありますが、知り合いを自由に誘ってもよい「半公開型」、インターネットで広く参加者を募集する「公開型」などもあるようです。一度に多くの人と出会える点がメリットといえます。一方、知り合いが全くいない状態では開催の情報自体が手に入らない、仮に入ったとしても行きにくいと感じる人も多いです。ゲイの友達がいるなど、ゲイの集まりにある程度慣れた人向きの面があるかもしれません。
④サークル 当事者同士で集めるサークルがある大学もあります。インカレという形で、大学を越えて活動しているサークルもあります。最近では、セクシュアリティ・ミックスのところが増えてきている印象です。他のイベントなどに参加するハードルが高いと感じる大学生の当事者にとって、もっとも身近な存在だといえるでしょう。ただ、大学に通っていないと参加できない(しにくい)のと、通っている大学にサークルがない場合があります。
大学ではない、一般(ゲイ)サークルもあります。多くの場合、楽器演奏やスポーツ、演劇など趣味を中心にしたサークルで、メンバーがゲイまたはLGBTなどで構成されています。インターネットや口コミでメンバーを募集し、定期的に活動していることが多いです。