同性愛者の「人権」問題を語る上で欠かせないのが、動くゲイとレズビアンの会(通称アカー)によって担われた、
「府中青年の家」の宿泊利用をめぐる裁判です。
アカーは、1990年2月に東京都府中市にある「府中青年の家」を、勉強会合宿をするために宿泊利用しました。アカーは、事前に議論を重ねた末、「いつも団体名を無難なものにして利用するのはもういやだ」と、同性愛者の団体だということを明らかにして利用することに決めました。青年の家のリーダー会(その日利用する団体の代表者が集まって、各団体の活動内容をお互いに紹介する)で、「私たちの団体は、同性愛者どうしお互いに助け合いながら、同性愛に関する正確な知識・情報を広め、社会的な差別や偏見をなくすための活動を行っています」と活動内容をきちんと自己紹介したのです。すると、その夜から、アカーのメンバーたちは、他の宿泊利用者から、浴室をのぞきこまれて笑われたり、「こいつらホモなんだよな」「またオカマがいた」などの言葉を食堂や廊下などで浴びせられるなどのいやがらせを受けたのです。
アカーのメンバーは、青年の家側に宿泊者全体での話し合いを要求しましたが、不十分な会しか開かれず、青年の家の所長との話し合いも拒否されたばかりか、事件後改めて申し込んだ5月の宿泊利用まで拒否されてしまいました。
アカーのメンバーは弁護士を通じて、教育委員会に請願したところ、教育委員会は、「青年の家には、健全に使ってもらうために男女別室ルールというものがある。同性愛者が宿泊利用すると、同室に泊まった者同士がセックスをする可能性があるから、同性愛者の宿泊利用は認められない」という結論を出してしまったのです。この結論を認めるわけにはいかないと考えたアカーのメンバーは、信頼出来る弁護士の協力も得て、1991年2月、東京都に対して損害賠償を求めるという形で裁判を起こし、同性愛者の青年の家宿泊利用の是非を問うことにしました。
東京都の言い分は、偏見に満ち、少数者への配慮に全く欠けるものでした。即ち(1)同性愛者を同室に宿泊させると性行為が行われる可能性がある(だから男女別室にしている)(2)他の青少年が性行為を目撃、あるいは想像することにより健全な成長がそこなわれる(3)他の青少年が同性愛者に対して嫌がらせなどをする恐れがある、などです。
アカーは、こうした立論を地道に論破していくばかりでなく、同性愛を「異常」「変態」「倒錯」と書いてある辞事典の記述の改訂や、文部省の『生徒の問題行動に関する基礎資料』で同性愛を性非行としている部分の見直しを約束させること(1994年10月に削除された)などに力を注ぎ、裁判をめぐる状況を変えていきました。
また、海外の同性愛者との積極的な交流の中から、当時サンフランシスコの教育委員長をしていたトム・アミアーノ氏(同性愛者。同市の同性愛者の生徒へのサポートサービスの推進者。現在同市の市政執行委員として活躍中)に証言台に立ってもらい「青年の家でセックスをするな、というルールだけあればじゅうぶんで、それでこちらではうまくいっている」という発言を引き出しています。
さらに全国の青年の家を電話で調査し、家族なら男女を同室に泊めるところ、部屋割りは宿泊団体に完全に任せるところなど、男女別室ルールが東京都が言うように絶対不変でないことを証明したりもしています。「裁判みたいな過激なことをしなくても…」という声は、同性愛者自身からもありましたが、実際は過激どころか、こうした地に足のついたささやかな活動の積み重ねを行ってきたのです。
そして、1994年の3月30日、東京地裁は、(1)は、性行為を行う「具体的」な可能性がなければ利用を拒否できない。アカーにそういう可能性はない、として退け、(2)についても「目撃する可能性は低く、想像しても有害ではない」と認められず、(3)に至っては、嫌がらせをする側に対する利用拒否の理由になるだけであると、東京都の主張をことごとく退け、憲法20条の学習権・21条の集会の自由が侵害されており、利用拒否を違法とするアカー側の勝訴判決を出しました。
注目すべきは、判決文の中に、異例とも言える「同性愛、同性愛者について」という章が設けられ、同性愛に対し「人間が有する性的指向の一つであって、性的意識が同性に向かうものである」と公的に初めて価値中立的で偏見を含まない定義が与えられた点です。続けて、サンフランシスコを含む世界の情勢や、同性愛者は孤立し抑圧されていたこと(つまり現実に差別があるということ)までがきちんと記されているのは、画期的でした。
しかし、東京都側はこの判決を不服として控訴し、新たに「青年の家に同性愛者がいること自体、他の青少年に悪い影響を与える」などという、同性愛(者)を否定する論理を持ち出して来ました。アカー側も、同性愛者の宿泊を認めている青年の家を利用して、何もトラブルが起こらなかったという事実を証拠として提出するなどの攻防(この過程で、後述する、私とやなせが中学・高校で行った同性愛の授業が、中高生にも同性愛は十分理解できる証拠として、その他の性教育実践とともに提出されました)があり、第二審は、一審より半年も長くかかりました。
そして、1997年9月16日、一審以上に東京都の「過失」を認めた画期的な判決がおりました。判決では、東京都がアカーに対して府中青年の家の宿泊を拒否したことは、全くの違法であると断言し、東京都の主張はことごとく却下されました。アカーの実質全面勝訴です。
東京都が「青年の家」は「教育施設」だから「男女別室ルール」を適用して「宿泊は認められない」と主張したことに対しては、「異性愛者のためのルールを機械的に適用するのは誤り」で、「著しく不合理で不当な差別的とりあつかい」で「同性愛者の利用権を制限するのは違法」だとしています。そればかりか、「男女別室ルール」自体も「そもそも利用者が性行為に及ぶ可能性は少ない」「利用者の自覚に期待するだけで、効果は疑問だ」などと、「一般的に貫徹すべきルールではない」と、その存在そのものに疑義をさしはさんでいます。一審では「性行為に及ぶ具体的可能性」がないから違法、としていたのに比べると、とにかく宿泊させないことは違法とする一審よりも大きく踏み込んで前進した判断になっているのです。
さらに、東京都が「90年当時は正確な知識」がなかったので「拒否判断は仕方がなかった」とした点については、きっぱりと「行政当局としては、少数者である同性愛者を視野に入れたきめの細かい配慮が必要で、同性愛者の権利・利益を考えなければならない。そうした点に無関心であったり、知識がないということは、公権力の行使者として、当時も今も許されることではない」と述べています。裁判の判決で行政に対してここまで批判したものは、日本では、極めて珍しく、こういった視点は、同性愛者のみならず、他のマイノリティ(少数派)や社会的弱者にも当てはまるはずで、大きな意味を持つ判決だと考えられます。
その他、二審で東京都が新たに持ち出したことについてもことごとく退けています。「(宿泊利用ではなく)日帰りの利用でいいのでは」に対しては、「宿泊利用してこその青年の家」なのだから「そんなことは言えない」。「小中学生が同性愛者と一緒にいると悪影響を受ける」に対しては、「小中学生が同性愛者と一緒にいても、職員は十分に対応できる」。そして、「教育施設だからと言って、青年の家の管理者に大幅な裁量権はない(要するに同性愛者を排除する権利はない)」と言い切っています。
全体として、アカーの7年半の地道な努力が実を結んだ価値ある判決で、東京都も最高裁への上告を断念し、同年……に確定しました。この判決の大きな意義を広め、実際的な適用を求めて生かしていきたいものです。
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